古代ギリシア語
[Wikipedia|▼Menu]
人目につかない山岳地帯のアルカディアと、学問の中心から離れたキュプロスを見落としていたという点を斟酌すれば、上記の区分は現代の歴史言語学の調査結果と酷似している。これは、方言の内実と変化を理解する上で非常に重要である。
分類と概要古典期のギリシア語方言の分布[1]

西部: .mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  北西方言   アカイア方言   ドーリス方言 中部:   アイオリス方言   アルカディア=キプロス方言 東部:   アッティカ方言   イオニア方言
この図では分類不明:M マケドニア方言

古代ギリシア語の各方言は以下のように分類される[2]

西ギリシア諸方言

北西ギリシア方言群

アカイア方言

アイトーリア方言

ロクリス方言

ポーキス方言

エーリス方言

マケドニア方言北西ギリシア方言の一つ[3]。マケドニア方言は、北西ギリシア方言に影響を受けて変化したドーリス方言であるという説が最も有力である[4]


ドーリス方言群(英語版)

ラコニア(ヘラクレイア)方言

メガラ方言

アルゴリス方言

コリントス方言

ロドス方言

コース方言

テーラキュレナイカ方言

クレタ方言



東ギリシア諸方言

アイオリス方言群

小アジア=レスボス方言

ボイオティア方言 - 北西方言の強い影響下にあり、過渡期の方言だったとも考えられる。

テッサリア方言 - ボイオティア方言ほどではないものの、北西方言の影響を受けていた。


イオニア=アッティカ方言群

アッティカ方言

イオニア方言

西イオニア(エウボイア)方言

中部イオニア(キュクラデス)方言

東イオニア(小アジア=イオニア)方言



アルカディア・キュプロス方言群(英語版) - ミケーネ語の姿を色濃く残す。

アルカディア方言

キュプロス方言

パンピュリア方言小アジア南西部沿岸地域の一部(リュキアキリキアの中間)で話されていた方言で、碑文にわずかに残されている。この方言は、異なる方言の区分か、あるいはドーリス人によって非ギリシア系原住民の影響を受けたミケーネ語のどちらかである可能性もある。


ギリシア語方言の分類は、西部と非西部というのが最も古くかつ有力である。非西部諸方言は「東ギリシア諸方言」と呼ばれることもある。

方言群の大半は、ポリスの領域ないし島に対応する形で、上記のようにさらに下位の区分に振り分けられる。たとえば、レスボス方言はアイオリス方言のひとつである。また、ドーリス方言はそのような細かな区分との間に位置する中間区分も有しており、島嶼ドーリス方言(クレタ方言など)、南ペロポネソス・ドーリス方言(スパルタのラコニア方言など)、北ペロポネソス・ドーリス方言(コリントス方言など)があった。

イオニア系以外の方言群は主に碑文によって把握されている。注目すべき例外はサッポーピンダロスの作品だが、これらは断片的にしか現存していない。各方言群はまた、植民市によって独特に表現されることもあった。それら植民市は、時には開拓移民や近隣住民が話す異なる方言の影響を受けて、独自の発展を遂げた。

紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の征服ののち、コイネーもしくは共通ギリシア語として知られる国際的な方言が発達した。コイネーは大部分でアッティカ方言が原型となっていたが、ほかの方言の影響も受けていた。古代の方言のほとんどは徐々にコイネーに入れ替わっていったが、ドーリス方言は現代ギリシア語のツァコニア方言として生き残っているほか、デモティキの動詞にもアオリストの形を残している。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:50 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef