古人類学
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1967年、ビンセント・サリッチとアラン・ウィルソン抗原たんぱく質分子配列の差からヒトやゴリラ、チンパンジーなどとの分子配列の差異を求め、分子が進化の過程で起こる突然変異で並び順が変わる確率から生物間の分岐時代を推定する分子時計を拡張した[13]。分子時計によるとヒトとチンパンジーとの分岐が起きたのは400万年前から500万年前という、ラマピテクスのいた1400万年前より遥かに最近の出来事であるとなる。しかしこの値は当時の常識とあまりにかけ離れていたため、すぐに受け入れられることはなかった。

1984年イェール大学の鳥類学者チャールズ・シブリージョン・アールクィストDNA - DNA分子交雑法を用い、チンパンジーと最も近縁なサル類はゴリラではなくヒトであることを突き止めた[14]

さらに、ラマピテクスの研究が進むとラマピテクスはヒトの祖先ではなくオランウータンの祖先であるという可能性が強まった[9]
アウストラロピテクス・アファレンシスの発見

1974年[15]エチオピアアウストラロピテクス・アファレンシスの化石群が発見された。そのうちの一体(ルーシー)は、頭蓋骨だけでなく全身の骨の約40%程度が発見された。骨格からアファレンシスが直立二足歩行が可能であり、骨盤の形がヒトとチンパンジーの中間であると確認された。またアファレンシスは約350万年前の地層から見つかり、アフリカヌスより古い物であることが分かった。
ミトコンドリア・イブ詳細は「ミトコンドリア・イブ」を参照

1981年イギリスフレデリック・サンガーらは、ヒトのミトコンドリアDNA(mt-DNA)の配列パターンを完全に決定した[16]。彼らはミトコンドリアDNAから分子時計を求めたが、やはりヒトとチンパンジーの分岐を400万年前程度と認めた。

1987年アメリカアラン・ウィルソンらは更にヨーロッパ、アフリカ、アジア、オーストラリア、アメリカの147人のミトコンドリアDNAを使って調査を行った結果を公表した[17]。論理上、共通の女系祖先がいることは明らかであり、問題は「いつ頃存在したか」であった。その結果、人類の共通の女系祖先は14万年前から29万年前のアフリカにいたことがわかった。またアフリカ人同士の配列が一番遠く、アフリカから離れるにつれて配列が近くなっていくことから、現生のヒトはアフリカでそれまで考えられていたよりも近い時期に誕生し、世界各地に進出していったというアフリカ単一起源説を強く支持するもので、他の遺伝子研究報告や化石の発見と相まって有力視されるようになっていく。その後男性のY染色体についても分析が行われ、全Y染色体の最も近い共通祖先は20万年前から30万年前に存在していたと見られるようになった[18]
アウストラロピテクス・アファレンシス以前

分子時計によると、ヒト科の動物が分岐したのは約500万年前から700万年前と推定している。アウストラロピテクス・アファレンシス以前の化石が長い間見つかっていなかったため400万年前までの期間はミッシング・リンクと呼ばれていた[19][20]

しかし、1990年代にはいるとミッシング・リンクを埋める化石が発見されるようになった。

1992年から1993年にかけて日本とアメリカの調査隊が、エチオピアアルディピテクス・ラミドゥス (Ardipithecus ramidus) を発見[21]。約440万年前のものだったが、その後の調査で、約580万年前のアルディピテクス・カダッバの化石も見つかる[22]

さらに、2000年12月4日フランスのブリジット・スニュ (Brigitte Senut) らがケニアのトゥゲン・ヒル (Tugen Hill) で約600万年前の猿人化石を発見。これはオロリン・トゥゲネンシス (Orrorin tugenensis) と名づけられた[23]。オロリンとは現地の言葉で最初のヒトという意味。
現在論じられている人類進化説詳細は「人類の進化#人類進化のモデル」を参照
アフリカサバンナ起源説詳細は「アフリカ単一起源説」を参照

現在もっとも支持されている説。分子時計の解析からも有力であるとされている。

約1000万年前までアフリカ大陸は、広大な熱帯雨林に覆われていた。しかし同時期から、ヒマラヤ山脈が造山活動を活発化しはじめた。ヒマラヤ山脈にぶつかった風は上昇して、アフリカ北部に乾燥した空気を運ぶようになった。このためサハラ砂漠が形成されるようになった。また、グレート・リフト・バレー(大地溝帯)がアフリカ東部に形成され、インド洋から吹き込む湿った風を遮断するようになった。これにより、熱帯雨林が急速にサバンナ化を始めた。

サバンナ化により、類人猿の主たる食糧である果実を提供する広葉樹の数が激減した。このため、果実を得るために木から木へ地面に一度下りて移動する必要性に迫られた。
多地域人類進化説詳細は「人類の進化#多地域進化説」を参照

北京原人ジャワ原人の存在を根拠に、アフリカで進化した原人がそのまま他の大陸へ移動。そこで、ヒト(新人)へと各地で進化を遂げたという説。北京原人はモンゴロイドに、ジャワ原人はオーストラロイドに、ネアンデルタール人コーカソイドに進化したと考える。分子時計解析によりネアンデルタール人はホモ・サピエンスとは別系統の種であるとの結果が出るなど、反証が増えつつある。
アクア説(水生類人猿説)詳細は「アクア説」を参照

ヒトの体毛が頭部を除いて極端に少ないこと、体脂肪が多いことなどの水棲ほ乳類との共通点に着目し、ヒトに進化した猿人(または類人猿)は水辺を生息圏に半水棲生活をしていたとする仮説。非人類学者には支持する者もあるが、学術的な検証に耐えない所が多く、積極的に肯定する人類学者はいない。
著名な古人類学者

諏訪元 (1954-)

ロバート・ブルーム (1866?1951)

レイモンド・ダート (1893?1988)

ルイス・リーキー (1903?1972)

ウジェーヌ・デュボワ(1858-1940)

関連項目

霊長類学

分子時計

ミッシングリンク

人類の進化

人類の知能の進化

トバ・カタストロフ理論

イーストサイドストーリー

化石人類

猿人

原人

旧人


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