叙情詩
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イングランドでは、トマス・キャンピオンリュート歌曲を書き、フィリップ・シドニーエドマンド・スペンサーウィリアム・シェイクスピアはソネットの大衆化に寄与した。

フランスでは、プレイヤード派がそれまでのフランス語詩の伝統(とくにクレマン・マロやGrands rhetoriqueurs)を破る目的で、古代を模倣することによってフランス語の地位を高めようと試み、(ペトラルカやダンテにとってのトスカナ方言 Tuscan dialectのように)フランス語が文学表現にとって価値ある言語だと主張した。プレイヤード派が好んで手本としたものは、ピンダロス、アナクレオン、アルカイオス、ホラティウス、オウィディウスなどだった。詩作するうえで支配的だった形式は、ペトラルカ風の連作ソネットやホラティウス風/アナクレオン風頌歌だった。このグループに属していたのは、ピエール・ド・ロンサールジョアシャン・デュ・ベレージャン=アントワーヌ・ド・バイフなどである。

スペインの祈りの詩は、抒情詩を宗教的目的に適用させた。その代表は、アビラのテレサ十字架のヨハネソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルス(Juana Ines de la Cruz)、ガルシラソ・デ・ラ・ベガ(Garcilaso de la Vega)、ロペ・デ・ベガたちである。
17世紀

ジョン・ダンからアンドリュー・マーヴェルまでの17世紀の英語詩の中で、抒情詩は支配的な詩的表現だった。この時代の詩は短く、物語を語ることは稀で、表現は熱烈だった[10]。この時代の著名な詩人には、ベン・ジョンソン、ロバート・ヘリック(Robert Herrick)、ジョージ・ハーバートアフラ・ベーン、トマス・カルー(Thomas Carew)、ジョン・サックリング(John Suckling)、リチャード・ラヴレース(Richard Lovelace)、ジョン・ミルトン、リチャード・クラショー(Richard Crashaw)、ヘンリー・ヴォーン(Henry Vaughan)、マーヴェルらがいる。

この時代のドイツの抒情詩人ではMartin Opitzがいる。
18世紀

18世紀になると、イングランド・フランスで抒情詩は衰退した。イングランドのコーヒーハウス、フランスのサロンといった、文学談義の場の雰囲気は、抒情詩に向いていなかった[11]。例外として、ロバート・バーンズウィリアム・クーパートマス・グレイオリヴァー・ゴールドスミスらの抒情詩があった。

この時代のドイツ語の抒情詩人には、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテノヴァーリスフリードリヒ・フォン・シラーヨハン・ハインリッヒ・フォスらがいる。
19世紀

ヨーロッパでは、抒情詩が19世紀の主要な詩形として再浮上し、「詩」と同義語と見られるようになった[12]ロマン主義抒情詩は、一人称で瞬間の思考や感情を語った。感情は極端だったが、個人的なものだった[13]

他のどの詩人よりも多くソネットを書いたウィリアム・ワーズワースとともに、イギリスにソネットの伝統的な形式が復活した[12]。この時代の重要なロマン主義抒情詩人には他に、サミュエル・テイラー・コールリッジジョン・キーツジョージ・ゴードン・バイロンらがいる。19世紀末のヴィクトリア朝抒情詩は、ロマン主義抒情詩より、さらに言語的に自意識過剰で自己防衛過剰だった[14]。ヴィクトリア朝抒情詩人には、アルフレッド・テニスンクリスティーナ・ロセッティなどがいる。

1830年から1890年の間、抒情詩はドイツの一般読者に人気があり、多くのアンソロジーが出版された[15]ルカーチ・ジェルジによると、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの韻文は、ゲーテやヨハン・ゴットフリート・ヘルダーに始まり、アヒム・フォン・アルニムクレメンス・ブレンターノの民謡集『少年の魔法の角笛』がはずみをつけた、ドイツ民謡の伝統のロマン主義的復活を例証するものだという[16]

フランスでも抒情詩は復活し[17]、この時代のフランス語詩の主要なモードとなった[18]ヴァルター・ベンヤミンにとって、シャルル・ボードレールはヨーロッパで最後の「mass scaleで成功した」抒情詩人だった[19]

18世紀と19世紀初期は、アレクサンドル・プーシキンに例証されるロシアの抒情詩台頭の時代だった[20]

スウェーデンの「Phosphorist」たち[21]はロマン主義の影響を受け、その指導者的詩人ペール・ダニエル・アマデウス・アッテルブム(Per Daniel Amadeus Atterbom)は多くの抒情詩を書いた[22]

この時代のイタリアの抒情詩人には、ウーゴ・フォスコロ(Ugo Foscolo)、ジャコモ・レオパルディジョヴァンニ・パスコリ(Giovanni Pascoli)、ガブリエーレ・ダンヌンツィオがいた。

スペインの抒情詩人には、グスタボ・アドルフォ・ベッケル、ロザリア・デ・カストロ(Rosalia de Castro)、ホセ・デ・エスプロンセダらがいた。
20世紀

20世紀初頭、一般に作者の感情を表現した押韻された抒情詩がアメリカ合衆国[23]、ヨーロッパ、イギリス帝国で支配的な詩形だった。

イギリスでは、アルフレッド・エドワード・ハウスマンウォルター・デ・ラ・メアエドマンド・ブランデンといったジョージ王朝時代(Georgian era)の詩人たちが抒情詩形式を用いた。

ウィリアム・バトラー・イェイツベンガル語詩人のラビンドラナート・タゴールの抒情詩を賞賛し、1912年に会談した時はトルバドゥールと比較した[24]

近代の抒情詩の妥当性と容認可能性は、モダニズム、増大する人間経験の機械化、戦争の厳しい現実などによって異議を唱えられた。第二次世界大戦後、抒情詩形式は新批評(New Criticism)によって再評価され、20世紀後期には再び主流の詩形となった。


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