フランスでは、プレイヤード派がそれまでのフランス語詩の伝統(とくにクレマン・マロやGrands rhetoriqueurs)を破る目的で、古代を模倣することによってフランス語の地位を高めようと試み、(ペトラルカやダンテにとってのトスカナ方言 Tuscan dialectのように)フランス語が文学表現にとって価値ある言語だと主張した。プレイヤード派が好んで手本としたものは、ピンダロス、アナクレオン、アルカイオス、ホラティウス、オウィディウスなどだった。詩作するうえで支配的だった形式は、ペトラルカ風の連作ソネットやホラティウス風/アナクレオン風頌歌だった。このグループに属していたのは、ピエール・ド・ロンサール、ジョアシャン・デュ・ベレー、ジャン=アントワーヌ・ド・バイフなどである。
スペインの祈りの詩は、抒情詩を宗教的目的に適用させた。その代表は、アビラのテレサ、十字架のヨハネ、ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルス(Juana Ines de la Cruz)、ガルシラソ・デ・ラ・ベガ(Garcilaso de la Vega)、ロペ・デ・ベガたちである。 ジョン・ダンからアンドリュー・マーヴェルまでの17世紀の英語詩の中で、抒情詩は支配的な詩的表現だった。この時代の詩は短く、物語を語ることは稀で、表現は熱烈だった[10]。この時代の著名な詩人には、ベン・ジョンソン、ロバート・ヘリック(Robert Herrick
17世紀
この時代のドイツの抒情詩人ではMartin Opitzがいる。 18世紀になると、イングランド・フランスで抒情詩は衰退した。イングランドのコーヒーハウス、フランスのサロンといった、文学談義の場の雰囲気は、抒情詩に向いていなかった[11]。例外として、ロバート・バーンズ、ウィリアム・クーパー、トマス・グレイ、オリヴァー・ゴールドスミスらの抒情詩があった。 この時代のドイツ語の抒情詩人には、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、ノヴァーリス、フリードリヒ・フォン・シラー、ヨハン・ハインリッヒ・フォスらがいる。 ヨーロッパでは、抒情詩が19世紀の主要な詩形として再浮上し、「詩」と同義語と見られるようになった[12]。ロマン主義抒情詩は、一人称で瞬間の思考や感情を語った。感情は極端だったが、個人的なものだった[13]。 他のどの詩人よりも多くソネットを書いたウィリアム・ワーズワースとともに、イギリスにソネットの伝統的な形式が復活した[12]。この時代の重要なロマン主義抒情詩人には他に、サミュエル・テイラー・コールリッジ、ジョン・キーツ、ジョージ・ゴードン・バイロンらがいる。19世紀末のヴィクトリア朝抒情詩は、ロマン主義抒情詩より、さらに言語的に自意識過剰で自己防衛過剰だった[14]。ヴィクトリア朝抒情詩人には、アルフレッド・テニスン、クリスティーナ・ロセッティなどがいる。 1830年から1890年の間、抒情詩はドイツの一般読者に人気があり、多くのアンソロジーが出版された[15]。ルカーチ・ジェルジによると、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの韻文は、ゲーテやヨハン・ゴットフリート・ヘルダーに始まり、アヒム・フォン・アルニムやクレメンス・ブレンターノの民謡集『少年の魔法の角笛』がはずみをつけた、ドイツ民謡の伝統のロマン主義的復活を例証するものだという[16]。 フランスでも抒情詩は復活し[17]、この時代のフランス語詩の主要なモードとなった[18]。ヴァルター・ベンヤミンにとって、シャルル・ボードレールはヨーロッパで最後の「mass scaleで成功した」抒情詩人だった[19]。 18世紀と19世紀初期は、アレクサンドル・プーシキンに例証されるロシアの抒情詩台頭の時代だった[20]。 スウェーデンの「Phosphorist」たち[21]はロマン主義の影響を受け、その指導者的詩人ペール・ダニエル・アマデウス・アッテルブム(Per Daniel Amadeus Atterbom この時代のイタリアの抒情詩人には、ウーゴ・フォスコロ(Ugo Foscolo
18世紀
19世紀
スペインの抒情詩人には、グスタボ・アドルフォ・ベッケル、ロザリア・デ・カストロ(Rosalia de Castro)、ホセ・デ・エスプロンセダらがいた。 20世紀初頭、一般に作者の感情を表現した押韻された抒情詩がアメリカ合衆国[23]、ヨーロッパ、イギリス帝国で支配的な詩形だった。 イギリスでは、アルフレッド・エドワード・ハウスマン、ウォルター・デ・ラ・メア、エドマンド・ブランデンといったジョージ王朝時代(Georgian era
20世紀
ウィリアム・バトラー・イェイツはベンガル語詩人のラビンドラナート・タゴールの抒情詩を賞賛し、1912年に会談した時はトルバドゥールと比較した[24]。
近代の抒情詩の妥当性と容認可能性は、モダニズム、増大する人間経験の機械化、戦争の厳しい現実などによって異議を唱えられた。第二次世界大戦後、抒情詩形式は新批評(New Criticism)によって再評価され、20世紀後期には再び主流の詩形となった。