受領
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その一方で、これまで国司四等官の筆頭以上の意味を持たなかった[注釈 1]受領国司に任国内統治の責任者としての権限が付与されることになった[7]

受領が強大な権限を得た一方で、補佐官である任用たちは権限を奪われ、受領の私的従者のように使役されるようになる。こうした状況に不満を募らせた任用の中には、現地の有力者である富豪層(田堵層)と結んで受領を襲撃する者も現れた。9世紀末から10世紀初頭にかけて紛争の火種となる任用たちの現地赴任は行われなくなり、受領のみが任国に赴任し、から伴った私的な側近を目代に任命し、また現地の有力富豪層を在庁官人に任命して国衙の実務に当たるようになった。

受領は強大な権限を得たため、莫大な蓄財を行うことも可能であった。事実、受領になると巨額の富を得ることができたため、国司に任命されるために人事権に強い影響を及ぼしうる摂関家へ取り入る者が後を絶たなかったと言われている。また、蓄財によって任国へ根を下ろした受領の中には、そのまま任期後も任国へ土着した者も多かった。

また10世紀ごろから、国内の公田を名田へ再編成し、田堵に名田経営と租税納入を請け負わせる負名体制へと移行していたが、各地域の実情に合わせて、各名田ごとに異なる税率・税目などが設定されることがあり、これは「先例」として各国司と田堵負名の間で固定しつつあった。しかしこの先例は、国司・田堵負名の間の個人的な約定であるともいえたため、新たに赴任した受領が前任者の先例を無視して、規定どおりの租税を田堵負名らに賦課することもあった。もっとも、中には私欲のために規定以上の租税賦課を行う受領もいたが、こうして10世紀後期以降、受領と田堵負名層との間に紛争がしばしば起きるようになり、受領の施策に不満の田堵負名層が中央政府へ訴え出ることもあった。これを国司苛政上訴といい、尾張国司藤原元命の事例などが有名である。

このような事例を受領層の苛政の表れと評価する意見もあるが、個別の事例を見ると受領が法令どおりに課税した例が圧倒的に多く、むしろ受領の方が遵法的であり、田堵負名層が私益を主張していることが分かっている。田堵負名層とは決して零細な農民などではなく、隷属民を多数抱え、莫大な富を蓄積して農業など諸産業を大規模に経営し、多数の私兵すら擁していた富豪百姓だったのである。

また、受領の権限強化によってそれまで護衛など国司の政務とは無関係な役割を果たす存在であった子弟や従者が受領を補佐するスタッフとして現地に赴き、中には下級国司の職務や目代などの地位を得る者もいた。彼らは「受領郎等」と呼ばれている。当初は伊予で海賊の鎮圧にあたっていた藤原純友もこうした受領郎等の1人であったとみられ、平正盛のようにその武力を買われて何人もの受領の郎等を渡り歩く例もあった[8]。彼らは現地の在庁官人や郡司とともに受領の国内統治を助ける存在であったが、中には現地の人々と対立を起こして国司苛政上訴における批難の対象になる事例もあった[9]

受領が徴収した租税は一度に中央の財政官司に納付される訳ではなく、予め官司や寺社などに納めることが決定されている物以外は一旦京都にあった任国や受領個人の京庫に保管され、切下文などの形で命令を受ける形で納付を行った。租税の徴収のみならず一部例外を除いた納付までの保管も受領に一任されていたため、その間に受領が保管した租税を私的に運用して収益を上げていたとしても命令に基づく納付が行われている限りにおいてはほとんど問題視されることはなかった。王朝国家の財政制度では中央への租税と受領の私財を明確に峻別する仕組が物理的にも帳簿的にも成立しなかったため、朝廷は受領が租税を私物のように扱っていたとしても罰することが出来ず、却って彼らが上げる収益の一部を利用していく方法を取るようになる。例えば、摂関期から院政期にかけて増加していく受領による内蔵頭兼任もそのための方策の1つであった[10]

説話集も受領の実相を描いており、『今昔物語集』の信濃守藤原陳忠の説話(「受領ハ倒ル所ニ土ヲツカメ」という文句が知られている)や、『宇治拾遺物語』の藤原利仁の説話(芥川龍之介の『芋粥』の元となった)などの例が挙げられる。

11世紀に入ると、摂関家の意向に左右される形で摂関家の家司が任じられる(家司受領)ようになり、同世紀の末に院政が開始されて摂関家の政治力が衰えると代わって院司が任じられる(院司受領)ようになる。家司や院司は在任中の治績内容に関わりなく、摂関や院の恣意によって任命され、国司苛政上訴や受領功過定によって問題が明らかになっても、成功などの奉仕によって叙位を受けたり、再任されたりした。こうした状況になると、家司や院司の子弟が10代もしくはそれ以下の年齢で受領に任じられる少年受領(執務は後見人である家司や院司が代わりに行う)が出現する一方、在任中に最も優秀な治績を収めたと評価された受領ですら家司・院司などの近臣としての地位がなければ、次の受領に任ぜられるまでに10年あるいはそれ以上かかるようになっていった[11]

12世紀に入ると、院や公卿などの知行国制の展開によって受領層は没落していったとの見方もあるが、後世の羽林家名家は11世紀の受領層の末裔であった者が多く、むしろ一部の受領層の地位が上昇して以前の中下級貴族から公卿の仲間入りを果たして知行国を受けるようになったという見方もある[12]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 例えば、美作介が不正に公文を作成するなどの不法行為に対して、守は中央に訴えてその処分を仰ぐしかなかった[5]。また、任用国司が受領国司の命令に逆らって国衙の役人や郡司を勝手に処罰することを禁じる太政官符[6]が出されるなど、任用国司は受領国司と任国の統治に対する共同責任を負う代わりに強力な権限を有していた。

出典^ 阿部猛『平安貴族社会』同成社、2009年、P129-130。
^ 森公章「良吏の光と影」『在庁官人と武士の形成』(吉川弘文館、2013年) ISBN 978-4-642-04608-4(原論文は『日本歴史』694号(2006年))
^ 中込律子『平安時代の税財政構造と受領』校倉書房、2013年 P37-86
^ 『類聚三代格』巻5、寛平10年2月のみ巻14
^ 『続日本紀』天平宝字5年8月癸丑条
^ 『類聚三代格』巻7、元慶3年9月4日付官符
^ 佐々木宗雄『日本古代国制史論』(吉川弘文館、2011年) ISBN 978-4-642-02482-2 第1章「律令国家体制の転換」・第2章「日本古代国家の地方統制」
^ 『平家物語』巻4
^ 森公章「国務運営の諸相と受領郎等の成立」『在庁官人と武士の形成』(吉川弘文館、2013年) ISBN 978-4-642-04608-4(原論文は『東洋大学文学部紀要』史学科篇31号(2006年))
^ 中込律子『平安時代の税財政構造と受領』校倉書房、2013年 P184-207
^ 寺内浩『受領制の研究』塙書房、2004年 P137-140・252-261・278-280
^ 上島享「国司制度の変質と知行国制の展開」『日本中世社会の形成と王権』(名古屋大学出版会、2010年) ISBN 978-4-8158-0635-4(原論文は1997年)

参考文献

土田直鎮 『日本の歴史5 王朝の貴族』中公文庫 ISBN 978-4122044258

竹内理三 『日本の歴史6 武士の登場』中公文庫 ISBN 978-4122044388

関連項目

王朝国家

受領功過定

院近臣

外部リンク

因幡堂薬師縁起絵巻 - e国宝

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