しかし、受け身側のみの記録であり、死因はほとんど不明で、特に攻撃側の状況に関しては一切不明である。そのため戦闘法の変化などを解明するのには不完全であり、攻撃側の状況を把握する必要がある[5]。また記録対象は士分以上に限られ、雑兵や足軽、軍夫は対象外であること、亡国敗軍側は基本的に合戦手負注文や軍忠状を作成しない[6]など記録内容に偏りがある。
「首取り注文」に関しては、鎌倉終期から南北朝期(14世紀)にかけての『毛利家文書』を調べた本郷和人によれば、そのほとんどが「首一つ○○(人名、誰々が取った)」とあり、「首二つ○○」といった注文は稀であり、例外中の例外としており[7]、それが14世紀の実態であったと個人的な見解を述べている。ただし、中世における首級は数ではなく、誰を討ち取ったかを重視した点や頭部と兜の重さ(合わせて10kgは軽く超える)を考慮すれば、多く運べたとは考えにくい。戦国時代になり、首級の代わりとして鼻級が登場したのも運びやすいためである[8][9]。 中世において、何らかの理由で家財道具を差し押さえられた場合、差し押さえた側がどういったものを差し押さえるかを検討し、目録として記した文書、または、差し押さえられた側が不当に感じて、どういったものを差し押さえられたかを書いた文書を、「雑物注文」、「色々物注文」という[10]。一種の財産目録であり、時代時代の変化を研究できるが、近畿周辺のものが残り、東国や九州にはほとんど見られない[11]。平安末期から鎌倉初期(12世紀末)では、烏帽子なども記されている[12]。鎌倉末期から室町初期(14世紀)では、注文から若狭国で女性名主が多いことなどがわかっている[13]。この時代となると農具・武具が多様化している[14]。網野善彦が注目している点として、粟が記述されていることであり、庶民の常食としての位置が確認できる資料である[15]。また14世紀中頃の百姓の注文の中には、太刀はないが、鑓が現れている一方、女性名主の注文の方には武具が無く、この時期に(少なくとも近畿圏の)女性の武装が無くなった可能性が示唆されている[16]。 注文は、後には動詞化して、特定の物品の調達を依頼する(結果として依頼した相手によって依頼に関する注文を作成される)ことを「注文する」と言うようになった。近代の商取引では、物品の調達を依頼する一般用語として用いられる。なお、注文を出すことを「発注(はっちゅう)する」、注文を受けることを「受注(じゅちゅう)する」という。 『広辞苑』(岩波書店)には、「注文生産」や「注文帳」の項目がある。
軍事以外
近代の商業
脚注^ 近藤好和『中世的武具の成立と武士』吉川弘文館。
^ 鈴木眞哉『謎とき日本合戦史 日本人はどう戦ってきたか』講談社。
^ トマス・D・コンラン『図説 戦国時代 武器・防具・戦術百科』原書房、80頁。
^ 鈴木眞哉『鉄砲と日本人』洋泉社。
^ 近藤好和『騎兵と歩兵の中世史』吉川弘文館、99-100頁。
^ 笹間良彦『図説 日本戦陣作法辞典』柏木書房、280頁。
^ 本郷和人『軍事の日本史 鎌倉・南北朝・室町・戦国時代のリアル』〈朝日新書〉2018年、31頁。
^ 『訓閲集』
^ 山口博『日本人の給与明細』〈角川ソフィア文庫〉2015年、192頁。
^ 網野善彦『中世再考 列島の地域と社会』〈講談社学術文庫〉2000年、73頁。
^ 網野善彦『中世再考 列島の地域と社会』〈講談社学術文庫〉2000年、100頁。
^ 網野善彦『中世再考 列島の地域と社会』〈講談社学術文庫〉2000年、74頁。
^ 網野善彦『中世再考 列島の地域と社会』〈講談社学術文庫〉2000年、82頁。
^ 網野善彦『中世再考 列島の地域と社会』〈講談社学術文庫〉2000年、82,85頁。
^ 網野善彦『中世再考 列島の地域と社会』〈講談社学術文庫〉2000年、85頁。
^ 網野善彦『中世再考 列島の地域と社会』〈講談社学術文庫〉2000年、85-86頁。
参考文献
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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