反西洋主義
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である[25][注釈 8]。ロシア語で「教会会議」が「ソボル」と言い、「一体化する」という動詞が「ソビラット」と言うように、そもそも「教会」という概念は、キリスト)の体において信者たちが「一体」になることを意味している[25]。それは、キレエフスキーの言う不可欠性(integrality)

に繋がっている[25]
反資本主義・反合理主義・反個人主義・統一化

イヴァン・キレエフスキーは自著『新哲学原理』で、「西洋の心」と「非西洋の心」(「ロシアの心」)とを対立させた[130]。キレエフスキー作の設定では、ロシアと違って西洋は「腐った土台」の上にあり、その土台とは精神的には「学問的合理主義」であり、社会的には個人主義の根本の「絶対的財産権」であるとされる[131]。そして

「西洋の心」は、「抽象的・断片的」な理性であり、それは世界の「一体性」と断絶していて、「合理主義」と「分別」という「有害」な要素を持っている

「非西洋の心」(ロシアの心)は「有機的」であり、「信仰」によって導かれ、物事の「全体」を把握する力がある

となっている[131]

こうしたキレエフスキーのオクシデンタリズムにとって、西洋的頭脳派(アリストテレス)は非西洋的「英雄」(アレクサンドロス大王)よりも劣っている[132]。「西洋の心」を「分別」に組み込んだ張本人であるアリストテレスは、しかし「幸い」なことに、自分の生徒であるアレクサンドロス大王に「分別」を教えられなかったので、大王は「栄光」を求めた[131]。これに関してキレエフスキーは、〔分別とは〕凡庸の輪の内側で、より良い物を求めて努力すること

と述べている[132]。つまり分別は「臆病な思慮」であり、「陳腐な通念」に基づいて極端な「平凡さ」へ執着することであり、「真実」の知恵とは正反対である[133]。「臆病」な西洋では、自説を極論と見なされることは最悪であり、そのため「独創性」を恐れているという[133]。この文脈においても、ドイツ人らを中心とする多数の反自由(反リベラル)思想家たちが「分別」を「非英雄的な心」として非難しており、反自由主義(反リベラリズム)やスラブ主義には、商人を軽蔑して英雄崇拝する傾向がある[133]。「ヒーロー#反資本主義との関連」も参照

キレエフスキーは、常識や共通的信条を「凡庸」と関連付け、「西洋の心」を「ブルジョア〔市民・資本家〕の心」と評した[134]。こうしてキレエフスキーや彼に続いたオクシデンタリストらは、「合理的である」ことや「思慮深さ」を臆病・安定・鈍感に、「先見」を「退屈で守られた生活」に結びつけた[133]。こうした考え方は、結束主義(ファシズム)やドイツ由来の全体主義とも関連している[135]
ニーチェ・ドイツ全体主義・「ロシアのニーチェ」

人間の意志」についてのフリードリヒ・ニーチェのドイツ哲学も、ロシア思想へ多大に影響した[136]。これらにおけるオクシデンタリズムはしばしば、民営的・民主的な「西洋の心」を「行動」の障害と見なす[136]。例えば、ハムレットのような「知的な苦悶」は麻痺状態に繋がり、「自発的な生活」から生まれる活力を欠いている、と評されている[136]。スラブ派から見ればロシア内の西洋派とは、《人間の行動は理性で導かれるべき》だと誤解している「根無し草」で「ハムレット的」な存在である[136]。スラブ派は、そのような誤った考えは「主意主義」(意志主義)に取って代わられるべきだと主張した[136]

主意主義(意志主義)とは、人間の行動は理知ではなく意志によって導かれるべきだという考えである[136]。理性とは「行動を起こさないこと」への雑な正当化である、と考えるこの流れは、オクシデンタリズムにも通っている[137]。「主意主義(意志主義)」、「主情主義(感情主義)」、「反知性主義(反主知主義)」、「反啓蒙主義」、および「反革命」も参照


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