反知性主義
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また、その言葉のイメージから、単なる衆愚批判における文脈上の用語と取られることも多いが、必ずしもネガティブな言葉ではなく、ホフスタッターは真っ当な民主主義における「必要な要素としての一面」も論じている[9]。むしろ、知的権威・エリート側の問題を考えるために、反知性主義に立脚した視点も重要だとも説く[11][9]。知性と権力が結びつくことへの、大衆の反感が反知性主義の原動力にあり[7]、反知性主義が否定するのは「知性」自体ではなく「知性主義」つまり「反・知性」の主義思想ではなく「反・知性主義」の主義思想なのである、と森本は述べている[12]

政治学者吉田徹によると、ホフスタッターの本来の「反知性主義」は知性がないことを馬鹿にする言葉ではなく、リベラル欺瞞に対してノーを突き付ける対抗権力であることを意味しているという[13]
反知性主義の登場と意味合い

ホフスタッターによれば、反知性主義という言葉が俄かに登場したのは1950年代、特にジョセフ・マッカーシーマッカーシズム赤狩り)や、1952年のアメリカ合衆国大統領選挙を背景としたものが挙げられる[14]。このアメリカ大統領選挙では、政治家としての知性、キャリア、家柄と、どれを採っても遜色なく、元弁護士で弁舌の腕も立ち、知識人からの人気も高かったアドレー・スティーブンソンが、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍参謀総長を務めた戦争の英雄といえど、政治経験は皆無で、およそ知的洗練さを表に出さず、むしろ政治家でないことをアピールして、大衆の支持を得たドワイト・D・アイゼンハワーに圧倒的大差で敗れており、反知性主義の象徴的な出来事として挙げられる。またジョセフ・マッカーシーやその支持者達は、対共産主義という枠を超えて、大学教授・知識人の家系といった知識人層を攻撃した。このように反知性主義とは、反エリート主義の言い換えといった側面がある[14]

1963年、ホフスタッターは著書『アメリカの反知性主義』においてニューイングランドの成立からのアメリカ史を引用して反知性主義の成り立ちを考察し、言葉が登場した50年代より前から反知性主義は存在し、むしろアメリカ社会・政治体制において重要なものであること論じた[9]。これによってホフスタッターは2度目のピューリッツァー賞を受賞している。

その語感より、しばしば誤解されるが、反知性主義に対置するのは知性そのものというよりは、先述の大統領選のエピソードのように知的権威やエリートとされる層である。データやエビデンスよりも肉体感覚やプリミティブな感情を基準に物事を判断するといった面も間違いではないが[10]、古くは聖書理解において高度な神学的知識を必要と考える知的権威や、時代が下がれば政治においてはエリートによる寡頭政治を志向する層への反感が反知性主義の原点であり、ただ単純に知性そのものを敵視する思想信条ではない[9]

むしろエリート層が軽視する大衆の「知性」を積極的に肯定するといった立場を採り、それは単純に近代合理主義批判の肯定や、科学的思考を軽視するという意味でもない[15][9]。歴史的に神意や真理を理解するのに高度な知識は必要ではない、政治において学術理論や理想論が先行して現実を無視した政策を行わない、このようなエリート主義に対する批判という観点も含むのである[16]

このように、反知性主義が必ずしも否定的な言葉ではないように、知的権威や知識人、エリートという言葉も反知性主義の文脈上では、必ずしも肯定的な意味ではない。ホフスタッターは、知識人の立場として反知性主義者に攻撃される側として論説するが、序章において知識人を迫害される憐憫な対象として擁護する気はないと明言しており[17]、その終章も反知性主義ではなく知識人の在り方を考察するものである[11]

ただし反知性主義という言葉を定義付けたとされるホフスタッターでさえ、それが曖昧な語義の用語であることを認めており[18]、単純に論敵を非難するバズワードとして使用される場合も多い。


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