反戦
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2000年代後半からウラジーミル・プーチン大統領のもとロシアの軍事力が復活し、ロシアに対してもロシア連邦軍によるチェチェン紛争[1]グルジア侵攻[2]2022年ロシアのウクライナ侵攻への抗議運動が起きている。

米国のベトナム反戦運動(1967年)

女性団体によるベトナム反戦運動(1967年)

反戦運動に参加するイタリア女性(1990年)

イラク戦争に反対する米国女性(サンフランシスコ・2003年)

2014年のガザ侵攻に反対するダブリンでのデモ

2022年のウクライナ侵攻に抗議するベルリンでのデモ

日本
第二次世界大戦まで

日本では、大日本帝国にとって初の近代戦争である日清戦争の直後、既に反戦的な言論の萌芽がみられ、組織的な反戦運動の端緒は日露戦争における「非戦論」であった。しかし日露戦争時の日本では主戦論が圧倒的に多数であり、非戦論が拠った『萬朝報』も時流に迎合して主戦論に社論を転換していくが、この時期反戦を訴える人々がまとまった勢力として登場したのである。

しかし昭和期には日本社会の全体主義化が著しく進み、山本宣治の暗殺、小林多喜二の虐殺などテロリズム白色テロ)が横行し組織的な反戦運動はほぼ不可能な状態になっていく。1931年の満州事変勃発に伴い、労農党社会民衆党左派の流れを引く人々は、全国労農大衆党に集い堺利彦を委員長とする対支出兵反対闘争委員会を設けるなど戦争に抵抗した。

しかし1937年からの日中戦争が激化するに従い、彼らは当局の圧迫で転向しているか、比較的言論取り締まりが緩やかだった外地に逃げているか、政治犯として刑務所に入っているか、そうでなければ監視のもとで沈黙を強いられているといった状態に追い込まれて行く。

全国労農大衆党と社会民衆党が合同して結成された社会大衆党は、1940年に近衛文麿が新体制運動を唱えると,直ちに解党してこれに合流してしまった[3]。その頃には公然と戦争に対し異論を唱えることができたのは、斎藤隆夫保守系のごく一部の人々のみ、という状況になっていた(斎藤の『反軍演説』に内心賛同していた片山哲らも、懲罰動議の決議への欠席・棄権という形で、消極的に意思を表明することしかできなかった)。一方、1922年に結成された日本共産党は1932年にソビエト連邦の強い影響下にあったコミンテルンの指示で作成された「32年テーゼ」で満州事変を「帝国国家同士の戦争」と定義してこれに反対したが、非合法であった同党は既に多くの幹部が検挙され、その後も摘発が続いたこと、さらに32年テーゼ自体が社会民主主義ファシズムと同様にみて対決の対象とする「社会ファシズム論」に立っていたことから、日本国内の反戦運動に対する影響力は広がりを欠いた。なお、日中戦争中には中国共産党の本拠地となった延安において日本共産党幹部の野坂参三日本人民解放連盟を組織し、捕虜となった日本軍兵士に対して反戦運動や共産主義思想の教育を行った(コミンテルン1928年テーゼも参照)。

1941年から始まった太平洋戦争大東亜戦争)において日本の敗色が濃くなると、交戦相手のイギリスやアメリカに近いと目されていた元外交官の吉田茂を中心に講和を目指す動きが活発化し、1945年2月14日に近衛文麿元首相が昭和天皇に提出した近衛上奏文共産主義革命の防止を理由とした戦争終結を求めるに至った(レーニンの敗戦革命論コミンテルン第六回大会コミンテルン第7回大会も参照)。これに対して、当時の政府の実権を握っていた大日本帝国陸軍統制派)やその軍事警察組織である憲兵隊はこれを吉田を中心とした反戦グループ、略して「ヨハンセングループ」と暗号名で呼んだ親英米派の「造言飛語」とみなし、憲兵隊は4月15日に吉田を逮捕したが、5月には不起訴となった。この一連の経緯は、同年8月にポツダム宣言を受諾して降伏した日本の戦後に影響を与えた。
戦後

上記の通り、1945年8月に日本が連合国に対して無条件降伏し、アメリカを中心とした連合国軍総司令部(GHQ)による間接統治が始まると、1946年5月に内閣総理大臣へ就任した吉田茂が日本政界の中心人物となった。大日本帝国憲法の全面改正を求めて同年2月にGHQから日本政府に渡されていたマッカーサー草案を基にした日本国憲法の審議においては、第9条で以下の条文となることが定められた。

""第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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