反戦歌
しかし、後にジョン・フォガティは、「カリフォルニアのお天気雨を歌ったもの」として、反戦歌であることを明確に否定している。
オハイオ:クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(1970年) - オハイオ州のケント州立大学で、平和集会に参加した学生が州兵に銃殺された事件に題を取っている。
自由の値(Find the Cost of Freedom):クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(1970年)
チャイルド・イン・タイム(Child in Time):ディープ・パープル(1970年)
アメリカン・ウーマン(American Woman):ゲス・フー(1970年)
カム・アウェイ・メリンダ(Come Away Melinda):ユーライア・ヒープ、ティム・ローズ、ボビー・ジェントリーほか(1970年)
ウォー・ピッグス(War Pigs):ブラック・サバス(1970年)
マシン・ガン:ジミ・ヘンドリックス(1970年)
サンシャイン:ジョナサン・エドワーズ(1971年)
サム・ストーン:ジョン・プライン(1971年)[13]
ウイ・ガット・ハブ・ピース:カーティス・メイフィールド(1971年)
ホワッツ・ゴーイン・オン:マーヴィン・ゲイ(1971年)
イマジン:ジョン・レノン(1971年)[14]
兵隊にはなりたくない(I Don't Want to Be a Soldier):ジョン・レノン(1971年)
ハッピー・クリスマス(戦争は終った)(Happy Xmas (War Is Over)):ジョン・レノン&オノ・ヨーコ(1971年)
平和に生きる権利(El Derecho de Vivir en Paz):ビクトル・ハラ (1971年) - チリで作られたベトナム反戦歌。日本では1970年代後半にうたごえ運動が最初に取り上げ、日本語訳の歌詞も付けられた。
アイド・ラブ・トゥ・チェンジ・ザ・ワールド(I'd Love to Change the World):テン・イヤーズ・アフター(1971年)
かなわぬ想い(Why Can't We Live Together):ティミー・トーマス(1972年)
ジス・イズント・ホワット・ザ・ガヴァメント(This Isn't What The Governmeant) :ブレッド(1972年)
ダイアログ:シカゴ(1972年)
ポリティカル・サイエンス:ランディ・ニューマン(1972年)
バック・トゥ・ザ・ワールド:カーティス・メイフィールド(1973年)
ギヴ・ミー・ラヴ:ジョージ・ハリスン(1973年)
アイ・キャント・ライト・レフト・ハンデッド:ビル・ウィザース(1973年)
悲しみのヒーロー(Billy Don't Be a Hero):ボー・ドナルドソン&ヘイウッズ、ペイパー・レイス(1974年)
錯乱の扉(The Gates of Delirium):イエス(1974年)
USブルース:グレイトフル・デッド(1975年)
ただ神に祈ることは(Solo le pido a Dios):レオン・ヒエコ(Leon Gieco) (1978年) - もともとアルゼンチン軍政に反対する曲だったが、1982年フォークランド紛争の際に反戦歌としてヒットした。
1980年 - 1990年代
ロックバルーンは99(99 Luftballons):ネーナ(1983年)
ブラディ・サンデー(Sunday Bloody Sunday):U2(1983年) - 他にも多くの反戦、人権問題、軍事政権批判の曲を発表している。
戦争のうた(The War Song):カルチャー・クラブ(1984年) - 「戦争なんて馬鹿げてる」(war is stupid)と冒頭から繰り返されている上、ラストでも「センソー、ハンタイ」と歌っている。一方で続く歌詞は「人民は愚かだ、愛に意味などない」(And people are stupid And love means nothing)と非常にシニカル。
ボーン・イン・ザ・U.S.A:ブルース・スプリングスティーン(1984年) - ベトナム戦争と、その帰還兵について歌われた反戦歌であるが、“アメリカに生まれて”という題から、時の大統領ロナルド・レーガンが選挙運動で利用したように、愛国主義の歌として利用されるなどした。
ラシアンズ(Russians):スティング(1985年) - 当時の東西冷戦のことを歌ったもの。レーガンの名前も出てくる。他にも多くの反戦、政治批判の曲を発表している。
反逆のヒーロー(I Don't Want to be a Hero):ジョニー・ヘイツ・ジャズ(1987年)
ワン(One):メタリカ(1989年)1988年リリースのアルバム『メタル・ジャスティス』収録及び1989年リリースのシングル曲。ダルトン・トランボの反戦小説『ジョニーは戦場へ行った』をモチーフにしている。
シヴィル・ウォー (Civil War) :ガンズ・アンド・ローゼズ (1990年) 1991年発売のアルバムユーズ・ユア・イリュージョンの先行シングル。2022年現在のライブにおいても演奏され、ウクライナ侵略をテーマにした映像や、ウクライナの国旗を掲げながらの演奏などを行っている。
Too Young To Die (邦題、死ぬには早すぎる):ジャミロクワイ (1993年) - 特定の戦争に関してではない。反戦だけでなく環境や動物や人権保護のメッセージも含んでいる。
2000年 - 2010年代
アフター・ザ・ガーデン(After the Garden):ニール・ヤング(2006年) - ニール・ヤングは、同曲の他にも反戦や米政府批判の曲を多く発表している。
アメリカン・イディオット (American Idiot) :グリーン・デイ (2000年) イラク戦争に反対した曲である。
日本の反戦歌
平和を守れ(1949年)- 作詞・木谷健一、作曲・種市蔵一[15]
原爆を許すまじ(1954年)- 中央合唱団。作詞・浅田石二、作曲・木下航二[16]
死んだ男の残したものは:友竹正則(1965年) - 作詞・谷川俊太郎、作曲・武満徹[17]。高石ともや、小室等ほか沢山の歌手に歌われている。
戦争は知らない(1967年、坂本スミ子、ザ・フォーク・クルセダーズ、カルメン・マキ)
ゲンシバクダンの歌:小室等と六文銭(1968年) - 1970年の記録映画「だからここに来た - 全日本フォーク・ジャンボリーの記録」にライブ映像が残っている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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