反マルクス主義
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ヴォルフガング・モムゼンは「ヴェーバーは、理論の平面でカール・マルクスの最大の敵役を演じた」と評した[2]
マルクス経済学批判「マルクス経済学」を参照

マルクスは、資本家階級を革命により没落させようと主張しているが、資本家はリスク管理や市場調査などの重要な社会的分業を担っているのであり、その役割を不当に過小評価している。オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルクは『資本利子理論の歴史と批判』(1884年)でマルクスの搾取論を批判し、1896年には『マルクス体系の終結』を発表し、批判した。1884年にはルロワ・ボーリューが『集産主義?新しい社会主義の批判的検討』を発表した[3]

レオン・ワルラス1896年に『社会経済学研究』第5章「所有の理論」でマルクス経済学の労働価値説を希少性価値説から批判し、マルクス主義的な集産主義は、「その基礎の欠陥のためにつまずく実践的な不可能性」を持っていると指摘された[3]。ワルラスによれば、マルクスは労働にのみ価値を認め、土地用役の価値を認めないため、土地用役を必要とする生産物が需給不一致する場合は生産を停止するしか方法がなく、効用面で大きな犠牲を払う[3]。また、マルクスは国家を唯一の企業者とみなすが、その生産計画において消費者の需要を知る必要があるのに、消費者の必要性は絶えず変化するため、消費者から国家に伝えることができない。他方市場では価格変動に任せられる。マルクスは正義の実現のために経済的有利性を犠牲にしているとワルラスはマルクスを批判した[3]。ワルラスは、資本家と企業者、両者の受け取る利子と利潤も区別するべきだが、「資本家兼企業者による搾取を排除するために、マルクス主義はすべての企業を国家の手にゆだねる」と批判した[3]。ただし、ワルラスも企業者が異常な利潤を手中におさめないように、国家が役割を担うべきだと考えていた[3]

V.K.ドミトリエフは1898年の著作[4]で、ミハイル・トゥガン=バラノフスキーは1905年の『マルクス主義の理論的基礎』[5]で、ラディスラウス・フォン・ボルトキエヴィチは1906-07年の著作[6]でマルクスの労働価値説や利潤率低下の法則は矛盾していると批判した。マルクスの理論的前提が過誤であれば、剰余価値や、労働者の搾取が利潤の唯一の源泉であるという主張は疑問視されることになる[7]

高田保馬も「マルクス価値論の価値論」(1930年)や『マルクス経済学論評』(改造社,1934年)などでマルクスの経済学を批判した[8]

マルクスは「資本論」の中で、商品過剰と労働者過剰による資本主義の没落を説いた。しかし、小泉信三はこれはただの景気循環の問題に過ぎず、資本主義の本質的な没落を招く欠陥ではないと批判、ケインズが主張したように、財政出動による公共事業の失業対策で対処可能で、あくまでも商品価格は需給関係によって成立するのであり、労働価値説は誤りだと批判した[9]

マルクス経済学者のポール・スウィージーは『資本主義発展の理論』(1942年)でマルクスが商品価値を生産価値に変換させたのは不満足なものであったと結論づけた[10]

置塩信雄が1961年に発表した置塩の定理では、資本家がコストカットの技術を追求したり、実際の賃金が上がらなければ、利潤率は低下しない(必ず上がる)ことを証明した[11][12]

1970年代以降はマルクス経済学内部でも意見は不一致となることが顕著になった[13]。イアン・スティードマンは、物量が利潤率(したがって生産価値)を決定し、価値の水準はせいぜい利潤率(と生産価値)の決定において余剰なので、マルクスの価値理論は放棄されるべきだと論じた[14]

市村真一によると、マルクス主義はイデオロギーとして巧妙に無謬性を守るようにできているという。それはマルクス経済学・唯物史観・唯物弁証法の三面からなり、経済の議論で破綻をきたすと、歴史の流れを無視していると反論し、歴史の実証で弱みを暴露すると、哲学を知らぬと反駁し、哲学論争で敗れれば、経済の現実を知らぬと反駁する。いつも論破されたと思わず、次の聖域に逃げ込める構造になっているという。これをオックスフォード大学のシートン教授は重層防御構造と表現した[15]

池田信夫によると、マルクス経済学は改革を批判する場合「リストラしたら景気が悪くなる」だけで終わってしまい、「市場の失敗」を非難する一方で「政府の失敗」をいわない介入主義もマルクス経済学の弊害だという[16]

分析的マルクス主義ジョン・ローマーは企業の革新によって利潤率は上昇し、利潤率低下の法則に希望はないと批判した[17]。また、分析的マルクス主義について青木孝平リベラリズムの倫理的個人主義と同じであると批判した[18]

ゲーリー・モンジオヴィもマルクスの価値と利潤率についての説には矛盾があると批判した[19]。デビッド・ライブマンもマルクスにおける理論の展開には矛盾があると批判し[20]、マルクスが資本論で述べたオリジナルの政治経済批判は修正されるべきだと論じた[21]

時間的単一体系解釈(TSSI)の提唱者は、マルクスの矛盾は時間的単一体系とみなされた誤解による結果だったとしている[22]。アンドリュー・クリマンは、マルクスの価値説の内部矛盾は必然的にその説の過誤を意味する、過誤は修正すべきであるし、または棄却すべきであるとした[23]

発展途上国先進国搾取されているから経済的に貧しいのであり、この国家間の格差はますます広がっていくと言う従属理論も展開されたが、日本韓国台湾シンガポールは積極的に先進国と交流し、奇跡とも言われる高度経済成長を達成した。発展途上国が発展途上国のままでいるのは、先進国に搾取されているからではなく、むしろ積極的に先進国と貿易や技術交流、相互投資を行わないからであるとの見解がある[24]
共産主義体制への批判

マルクスの『資本論』はあくまでも資本主義社会の分析を行っているに過ぎず、共産主義社会の分析を行っているわけではない。共産主義が資本主義よりも優れているという考察や証明は行われていない。
ファシズム、全体主義としての批判「全体主義」および「ファシズム」を参照

マルクスの理論に基づいてレーニンスターリンが作ったソビエト連邦の共産主義体制は、共産主義を科学だと自称し、他のイデオロギーを非科学的、反革命的だと弾圧した。レーニンは秘密警察チェーカーを作り、反革命と認定された者を逮捕処刑した。スターリン大粛清では反革命分子として異端とされた党員が数十万から700万が処刑されたといわれる。そのため、労働者階級の解放どころか、結局は人民の自由を抑圧するポスト全体主義体制でしかなかったという批判がある。階級廃絶を主張していたが、党官僚という偽善的な新階級を生み出してしまい、富は公平どころか特権階級に集中したと批判された。自由主義経済学者のミーゼスハイエクは社会主義、共産主義、ナチズムファシズムは同根的な集産主義(collectivism)であり、計画経済や社会主義・共産主義が『独裁制の全体主義』に陥るのは必然的なことだったとの指摘をした[25]


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