またイスラエルにおいてもマツペンやハダシュといった政党を中心に、反シオニズムを標榜する組織や政治家が存在する。
イスラエルの人権擁護派イスラエル・ シャハク教授は、イスラエルはユダヤ教徒をイスラエルに呼び戻して彼らに市民権を付与する「帰還法」を掲げる一方で、故郷に戻ることを国際法上認められた500万人のパレスチナ難民の帰還を拒否する人種差別国家であり、露骨な差別主義だと批判している[3]。
また敬虔なユダヤ教徒であるカナダの歴史学者、モントリオール大学のヤコヴ・ラブキン教授は、「シオニズムはユダヤ教の教義に反する」と批判しており、「寛大な古き良きユダヤ教徒の姿をシオニストは侮辱した」と語っている[3][17]。
アリーヤーを巡る対立
ワシントンD.C.で行われたアメリカ・イスラエル公共問題委員会会場にてユダヤ人国家の平和的解体を訴えるナートーレー・カルター(2005年5月)
ヘブライ語で「上昇」を意味するアリーヤーという語は、ユダヤ人によるイスラエルへの帰還を表す言葉として古代より用いられてきた。中世に入ると、ナフマニデスやアイザック・ルリア、ヨセフ・カロら多くの有名なラビがイスラエルの地へ戻った。この他世界各地で離散を余儀なくされているユダヤ人も、メシアの時代に果たされるであろう帰還を祈り[18]、その願いは数世代にわたって受け継がれていった。しかしユダヤ啓蒙主義時代には、改革派がアリーヤーを含め伝統的な信条を時代に合わないものと見なし破棄した。その後、イスラエルへのユダヤ人入植者が増加すると、従来の宗教上の信条と並行してイデオロギー的政治的配慮から、アリーヤーが再び脚光を浴びるようになる。
ただ、敢えて離散状態を選択するユダヤ人も少なからず存在することから、アリーヤーへの支持が常に厚いわけでなく、現代のシオニズム運動もそれ程一般的ではない。とは言え、正統派や保守派、近年では改革派に至るまで、シオニズムは一定の支持を得ているのが現状である[19][20][21]。
その他の動向イギリス・エディンバラにおけるイスラエルのガザ攻勢に反対するデモ。イスラエルをナチスドイツに例える。
2003年の世論調査では、EU15ヶ国の59%がイスラエルを「世界の平和にとって最大の脅威」とした[3]。ピュー・センター(The Pew Center)はこれについて「ムスリムにとっては、パレスチナをめぐる紛争に関してアメリカが不当にイスラエルを支持しているという[彼らの]信念を確信させるものであり、99%のヨルダン人、96%のパレスチナ人、94%のモロッコ人がそれに同意している。大多数のヨーロッパ人もそうであった。イスラエルにおいてさえ、アメリカの政策が不当であるという声はそれを正当とする声を上回った」と論評した[3]。
ジェローム・サルターは、イスラエルとパレスチナの紛争の原因はアラブの反セム主義ではなく、「1300年以上のあいだパレスチナの住民の圧倒的多数がアラブ人であったにもかかわらず、ユダヤ教徒の国がパレスチナに建国されるべきだとするシオニズムの主張にある」と2001年に結論した[22][3]。
2002年7月、約60人の神学者がアメリカ合衆国大統領に対してイスラエルの入植は「パレスチナの土地の略奪」と訴えた[22][3]。またイザヤとイェレミヤがヘブライ語聖書の中で「神は全ての国と全ての人々に、他者に対して正義を働くこと、そして迫害された者、異邦人、父を失った者、また寡婦を護る」と宣言したことを書き添えている[22][3]。
一方で、非ユダヤ教徒以外にもシオニズムを肯定するものもいる。キリスト教シオニズムは、イスラエル国家は神がアブラハムと交わした契約によって与えられたとし[23]、イスラエルを支持する[22]。キリスト教シオニストは、イスラエルのリクード党と共に1993年のオスロ合意や2003年の中東和平のロードマップ[24]に反対し、イラク戦争も支持した[22]。