双葉山定次
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^ 昭和以降に大関へ昇進した力士で大関在位期間が全勝だったのは双葉山のみである。なお、大正時代には栃木山守也が2場所20戦を19勝1預で横綱に昇進している。
^ なお、江戸時代の記録は「どの場所を本場所とするか」「分・預・無勝負・休をどのように扱うか」によって大きく変わるが、酒井は「江戸場所のみが本場所、京阪場所は除外」「分・預・無勝負・休があっても連勝は継続」と解釈した上で、過去の最多連勝記録を谷風の63連勝と認定したのである。
^ これが遠目には安藝ノ海が右外掛けを掛けたかのように見えたため、翌日の各新聞は「安藝ノ海の右外掛け」と誤って報じた。ニュース映画を見て誤報であることは明確になったが、当時ベテラン記者だった彦山光三は「レンズと言えども正確とは言えんよ」と言って自説を譲らなかったという。
^ 12日目に2敗力士がいなくなり、番付上位者優勝制度のために東正横綱の双葉山の優勝が確定したものである。優勝決定戦がある現行制度に照らせば13日目での優勝決定だったことになる。
^ 現在でも年寄名跡継承などの点から親方の娘との結婚が見られる。
^ 白鵬が連続全勝優勝の記録を更新するまで大鵬幸喜(3回)、千代の富士貢貴乃花光司朝青龍明徳も2場所連続全勝優勝を記録した。
^ 屋外での開催となるため、翌年1月場所を前倒しで開催したものである。
^ 正確には幕下までは13尺土俵で取っている。
^ ちなみに時津風部屋は、現在でも「双葉山相撲道場」の看板を正式な部屋名と共に掲げている。北葉山英俊が入門する際、「時津風部屋はどこですか?」と聞いても誰も知らず、「(双葉山)『道場』ならそこだよ」と教えられたという。
^ のちに天龍源一郎も土俵上ではなかったが日大講堂となった旧国技館で断髪式を行っている。
^ 璽光尊こと長岡良子も逮捕後の精神鑑定の結果、「誇大妄想性痴呆症」と診断されて食糧管理法違反も違法なしと判断、不起訴となった。
^ 取り直し制度導入以降の最高勝率。ただし、白鵬は2007年7月場所から2020年3月場所現在までの横綱在位76場所で872勝125敗143休(勝率.875)で、双葉山の勝率に現在のところ迫っている。
^ 全勝8回は当時の最多記録。年6場所制となってからは大鵬と並んで歴代2位タイ、2020年3月場所現在の最多は白鵬の15回。
^ 1999年に読売新聞が『20世紀スポーツ列伝-世界に挑んだ日本人』を連載し、双葉山を取り上げたが、取材した記者は「近親者の話が聞けなかった」ことを心残りとしている。この時点で澄子が双葉山の唯一の近親者だったが、取材申し入れに対し、澄子は「話したくない」と断った(『20世紀スポーツ列伝-世界に挑んだ日本人』、40頁)。
^ 博子が生まれる前の1942年に女児(名前不明)が生まれたが、間もなく亡くなった(『宇佐学マンガシリーズ@相撲の神様 双葉山』、156頁)。また、子供は「二男一女」とする資料もあり、経治は二男で、長男(生年、名前ともに不明)は「幼くして亡くなり」と書かれてあり(『20世紀スポーツ列伝-世界に挑んだ日本人』、40頁)、経治と博子は戸籍上はそれぞれ二男と二女になる。
^ 1936年5月場所?1937年1月場所は11戦全勝、1937年5月場所?1938年5月場所は13戦全勝。
^ 1939年1月場所は13日制。
^ 蓄膿症により全休
^ 脇腹疼痛により12日目から途中休場
^ アメーバ赤痢により7日目から途中休場
^ 面疔により2日目から途中休場

出典^ a b c d e f g h i 『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p22
^ 『相撲』2012年8月号83頁の記事では、当時を知る写真館の店主である工藤明が「双葉山関も写真が大好きで、ウチへはそれこそありとあらゆる写真を撮りに来て下さった。」と証言している。
^ a b "双葉山 定次". 20世紀日本人名事典. コトバンクより2023年1月16日閲覧。
^ a b "双葉山定次". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2023年1月16日閲覧。
^ a b c d e f 【大相撲豪傑列伝】(11)69連勝のかげに身体障害あり 双葉山定次 産経新聞 2008.12.6 16:29
^ a b 『相撲』21ページ
^ 石井代蔵『巨人の素顔?双葉山と力道山?』(講談社)
^ a b c d e f g h i j 『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p18-19
^ a b 『私の履歴書 最強の横綱』
^ a b c d 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)15ページから17ページ
^ 『双葉山の世界』豊の国宇佐市塾
^ 『相撲』34ページ
^ a b 『相撲』25ページ
^ 『相撲』35ページ
^ a b c 『相撲』22ページ
^ 朝日新聞縮刷版. 朝日新聞社 
^ 酒井忠正『相撲随筆』. ベースボール・マガジン社. (1995年5月) 
^ 酒井忠正 双葉山と古今先人の比較 相撲 4(1) 1939年1月 日本大相撲協会
^ a b 『大相撲中継』2017年5月27日号16-17頁
^ Vol.61 双葉山70連勝ならず 隻眼の大横綱、初顔に屈す 昭和14年1月15日 (1/2)‐昭和史再訪セレクション‐地球発‐[どらく 2010年11月6日朝日新聞夕刊紙面 1頁。]2023年8月1日閲覧。
^ 『相撲』28ページ
^ a b Vol.61 双葉山70連勝ならず 隻眼の大横綱、初顔に屈す 昭和14年1月15日 (2/2)‐昭和史再訪セレクション‐地球発‐[どらく 2010年11月6日朝日新聞夕刊紙面 2頁。
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