厳家淦
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その結果厳家淦は故宮博物院管理委員会主任委員に任命され、1990年(民国79年)3月まで同職を務めた。

1986年(民国75年)9月、厳家淦は会議中に脳出血を起こし、病院に緊急搬送された。
死去

1993年(民国82年)12月24日の夜、長引く脳出血の後遺症の影響で心不全となり、台北栄民総医院にて死去[22][23]。88歳没。1994年(民国83年)1月22日に台北栄民総医院懐遠堂で葬儀が執り行われた後、移霊礼が行われ、奉安典礼が中山区三軍大学(現:国防大学)中正堂で行われた。総統の李登輝、行政院長の連戦などが弔問に訪れ、21発の弔砲が発射された[22][23]。その後、台北県汐止鎮(現:新北市汐止区)の国軍示範公墓(中国語版)に埋葬された。李登輝は次のような表彰を行った。

「厳家淦元総統は、誠実で感受性豊かな資質と豊富な知識を持つ人物だった。彼は政府の一員としてその功績を皆に知らしめた。八?では新たな試みを行い、三台(中国語版)で素晴らしい実績を残した。経済部長、財政部長、台湾省政府主席を歴任し、経済建設の基礎を築いて金融・財政の面で大きな功績を残し、その功績はよく知られ、誰もが賞賛した。その後行政院長に就任すると百揆を総べて中道を貫き、政治は民衆と調和して八紘を向化し、道徳的かつ勤勉な努力の結果、彼の名声は高まった。国民大会第4回会議では第4期副総統に選出されて行政院長と兼任して総統の仕事を補佐し、その優れた功績と徳によって内外から表彰された。副総統に再選されると彼は行政院長を辞職した。彼は院の献身的な一員だった。先総統の?公の死後、彼は憲法に従って総統職を継承した。彼は職務に勤勉で慎重で、名誉、威厳、気品のある人物であった。彼の訃報を聞いて衝撃を受け、悲しみに暮れた。高潔で賢明な人物を称えるという政府の意思を示すためにも、これは明確に称賛されるべきである。

総  統 李登輝

行政院長 連 戦」

厳家淦は、2020年(民国109年)7月30日に97歳で死去した李登輝に次いで2番目に長寿の総統である。
人物

厳家淦は気品に溢れ、仕事には細心の注意を払い、他人に対しては親切で愛想が良く、常に「一歩引いて考える」、「相手の立場に立って考える」ことを信条としていた[24]。彼の言動には一貫性があり、特に「数字は嘘をつかない」として、自分の政治的見解を裏付ける数字を暗記するのが得意だった[3]

かつての上司の陳儀や陳誠は、厳家淦の実務能力を高く評価していた[3]

?介石は厳家淦を「上辺は人当たりがよいが芯はしっかりしており、公平無私な人物」と評している[25]

監察院長王作榮は厳家淦について、台湾プラスチックグループの創業者の王永慶と合わせて「これまで会った中で最も聡明な2人」と評している[26]
逸話16ミリ映画を撮影する厳家淦台北市中正区にある厳家淦故居(国定古蹟

史上最も長く行政院長を務めた人物である。在任期間は8年と5か月半。

国史館が出版した郭宗清(中国語版)による回想録『大風将軍』によると、総統時代の厳家淦が軍事会議を取り仕切っていたた時、帰り際に「極秘」資料を持ち帰らずに机の上に置いたまま立ち去ろうとした。それを見た行政院長の?経国がすぐさま「この資料をお持ち帰りください」と言ったが、厳家淦は「私は極秘情報を携帯しておきたくない」と断った。彼の慎重さが窺える逸話である[27]

大の音楽好きで、大量のクラシック音楽レコードのコレクションを所持していた。特にベートーヴェン交響曲第9番を好み、国政の重要な問題について考える時はいつも聴いていた。2013年(民国102年)、四男の厳雋泰が厳家淦の死去20年を記念して国家交響楽団による交響曲第9番の演奏会を企画した[28]

写真撮影が趣味で、よく庭園の風景などの16ミリ映画を撮影していた。かつての部下の1人は、「厳家淦は見たものを決して忘れることがなく、まるで彼自身の頭脳がカメラであるかのようだった」と述懐している。[11]

江蘇省蘇州市呉中区木涜鎮にある史跡「厳家花園(中国語版)」(旧名:羨園)は厳家淦の生家である。台湾に来てからは、かつて台湾銀行副総裁の官舎として使われていた建物(中国語版)に住んだ[11]

家族劉期純(1961年)

1人目の妻 - 葉淑英:1922年(民国10年)6月に両親の命令により結婚、1923年(民国11年)に出産により死去。

2人目の妻 - 劉期純(中国語版):1924年(民国12年)12月14日に上海で結婚。結婚生活は70年に及び、5男4女を儲けた[29]

長男 - 厳雋栄:上海商業貯蓄銀行(中国語版)董事。

次男 - 厳雋森:中国系アメリカ人。美東華人学術聯誼会の第4代会長(1979年 - 1981年)を務めた。

三男 - 厳雋同:中国系アメリカ人。千橡中文学校、康谷華協の創立者の1人。

四男 - 厳雋泰:曾任唐栄公司の総経理、中華工程(中国語版)の創業者および前董事長。2016年、蔡英文総統より総統府国策顧問に任命される。

五男 - 厳雋建:科学月刊(中国語版)の寄稿者。

長女 - 厳雋華:復旦大学を卒業。

次女 - 厳雋菊(Nora):バージニア大学政治学教授の故・冷紹?と結婚。冷紹?は?経国国際交流基金会の諮詢委員も務めた。

三女 - 厳雋芸:国立台湾大学農化系を卒業。

四女 - 厳雋?:東海大学経済系博士で、シティバンク銀行の副董事長を務めた売培源と結婚。厳雋?は2003年(民国92年)に厳雋?は病死し、売培源は亡き妻を偲んで東海大学女子寮に庭園を寄贈し、水路に置かれた石版に詩を刻んだ[30]

栄典

中華民国:二等卿雲勲章(中国語版)(1963年6月6日)[31]

ペルー 太陽勲章(スペイン語版)大十字光輝章(1970年4月8日)[32]

ベトナム共和国 一等保国勲章(ベトナム語版)[33]

脚注[脚注の使い方]
注釈^ a b 1949年に中華人民共和国へ亡命

出典^ “〈「新台幣之父」本是富家子弟〉”. 2016年4月9日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2016年3月29日閲覧。
^ “第5任 嚴總統家淦先生”. 中華民國總統府. 2019年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月17日閲覧。
^ a b c d e 漆高儒 (1991-03-31). 《?經國的一生》. 台北: 傳記文学出版社. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9578506074 


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