フォーライフに送った応募テープは、アマチュアでは考えもしない一人で8重録音(多重録音)をしていたといわれ[出典 23][注釈 3]、ピアノの他、ギター、シンセサイザーもこなし編曲も自分でやったといわれる[35]。セカンド・アルバムをセルフ・プロデュースしたように[37]、最初から音楽的すごさ・才能のずば抜けた早熟の天才であった[出典 25]。デビューアルバムに参加した鈴木茂が、「ほとんどやることはなかったよ」と言ったという[37]。原田真二バンドと佐野元春のバンド、ハートランドをドラマーとして掛け持ちした古田たかしは[39]、ブレイク前の佐野を「すごいんだよ、マインドが真二とそっくりなんだ」と評した[37]。
デビュー時の実績[ソースを編集]
「てぃーんず ぶるーす」発売後、翌11月に「キャンディ」、12月に「シャドー・ボクサー」をリリース[16]。「3ヶ月連続レコードリリース」という前代未聞の形でデビューを飾ると、3曲が同時にオリコンベスト15入りするという[40]、日本音楽史上初の快挙を達成した[出典 26]。「3ヶ月連続レコードリリース」は、当時の所属事務所アミューズの社長大里洋吉のアイデアによるものだが[33]、どの曲も捨てがたく1曲にデビュー曲を絞れなかったという事情もあった[出典 27]。「てぃーんず ぶるーす」、「キャンディ」、そして翌年に発売された「タイム・トラベル」は『三部作』と呼ばれる。更にファーストアルバム「Feel Happy」(1978年2月発売)も、オリコン史上初の初登場第1位を獲得した(4週連続1位)[出典 28]。10代でのファーストアルバム、オリコン1位獲得は、男性シンガーソングライターでは未だ原田のみ(2018年8月現在)[出典 29]。
原田の与えた影響[ソースを編集]
「日本のニオイのまったくないメロディー」などと評され[19]、それまでとは比べものにならないくらいポップ感覚にあふれた洋楽的なサウンドは[46]、「和製ロック」に新しい可能性と展開をもたらした[出典 30]。原田はそれまでの先輩たちとは違う、感性や音楽的バックグラウンドを持つシンガーソングライター、ポップス・クリエイターの新世代であった[46]。原田自身も「最初から洋楽のロックの世界を目指した」と話している[出典 31]。ポップスとロックの間を自在に行き来するサウンド・センス[46]、加えて洗練された響きを持つコード進行の多用など[46]、ポール・マッカートニーやエルトン・ジョン、ギルバート・オサリバンなどのロック系シンガーソングライターに通じる本格的なポップス感覚は[38]、それまでのフォークを基調にした"私小説的な、日本のシンガーソングライターのイメージを覆した[出典 32]。近年のシティポップの特集ではスルーされることが多い原田であるが、シティポップの特集としては早い段階だった『昭和40年男』2014年2月号の「オレたちシティポップ世代」という特集では「てぃーんず ぶるーす」を「洋楽テイストのメロディで80年代シティポップの伏線となった」と論じられている[54]。元祖ピアノロック等と今日いわれるように[48]、男性のピアノの弾き語りというスタンスが珍しかったこと[出典 33]、その特徴あるカーリーヘアー[注釈 4]と少女マンガの世界から飛び出したような愛らしいルックス[出典 35]、ハスキーボイスが[出典 36]、当時、隆盛を極めたテレビの歌番組などで最大限に発揮され[出典 37]、女子中・高校生を中心に絶大な支持を受け、ロック・アイドル的人気を博した[出典 38]。