厚木市
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厚木市は神奈川県のほぼ中央にあり、東京・横浜からそれぞれ直線距離約45km、30kmに位置している。本厚木駅から東京都心までは小田急小田原線特急ロマンスカーで約45分(通勤時間帯はモーニングウェイ利用で約50分)、快速急行で日中約48分(通勤時間帯:新宿までは56分)、急行で約55分、各駅停車で約1時間半かかる。本厚木駅より東京メトロ千代田線直通の準急列車新宿駅へ向かう各駅停車の多くが始発駅となっている。

山中湖を源とする相模川のつくる相模平野の北端に位置し、西の丹沢山地と、そこから南東に開けた相模川西岸の平野部とにまたがる。海老名市座間市相模原市との境界を流れる相模川に、東丹沢山地を源とする中津川・小鮎川が市の中央部で合流し、市の南部では玉川が合流している(ただし現在の玉川は河川改修による人工河川であり、かつては平塚市内で花水川に合流していた)。そのため、河川による侵食地形が複数形成され、市南西部から北東部に向かう間に台地と侵食盆地が交互にあらわれる。市の北東界では、依知台地が終端から相模川を挟んで相対する相模原台地が望める。

相模川は当市付近で中流地形から下流地形に移行し、河口へ向けて沖積平野を形成する。流路に沿って自然堤防が発達しており、厚木町旧市街地や岡田の旧集落がその上に立地している。市西部には伊勢原断層が所在している。本厚木駅周辺はかつては稲作が盛んであり水田が拡がっていた。中心市街域の急速な整備拡大により水田が埋め立てられ都市開発されたため、1970年代以降は地盤沈下が深刻な問題になっていた。
地勢

古来この地域は交通の要衝として知られ、津久井 - 平塚間の中間交易や、大山街道中途の大山詣の宿場町として発展した。そのため元来仲卸業者が多く、旧厚木町市街地域には問屋街が形成されていた。かつては水運も盛んで、相模川を利用した河川交通の要衝でもあった。厚木の名の由来は、川沿いに木材の集散地があったことから「アツメギ」がアツギに転訛したとする説がある[4]。このことを背景に、江戸時代中期の享保年間以降、相模国内の愛甲郡高座郡などに飛地領を有していた下野烏山藩が厚木に陣屋(厚木役所)を置き、飛地領支配の拠点とした。明治以降も相模国および神奈川県央部における商業・交通の中心として栄えた。

現在でも県央地域の物流拠点となっており、東名高速道路小田原厚木道路圏央道インターチェンジや、国道129号国道246号国道412号などの主要国道が存在し、またそれぞれにバイパス道路が整備されている。また、国道129号・246号・412号の重複区間となる大和厚木バイパスは市中心部商業地域(旧厚木町)とその他の西部地域とを分断する形で存在している。

2014年に圏央道東名高速道路 - 中央自動車道間が開通したことに伴い、急速な都市化により激化していた市内の交通渋滞は一定の緩和を見せているほか、同道路の開通に伴う高速道路の利便性向上により、大型物流施設の進出が相次いでいる。

大学・短期大学が多い街であり、小田急小田原線沿線にある大学・短期大学の学生が集まる街でもある。市内の鉄道駅小田急電鉄本厚木駅および愛甲石田駅(伊勢原市にも跨る)の2駅だけであるが、本厚木駅周辺は高度に開発されており、同駅には特急ロマンスカー(座席指定制の有料特急)の総本数の半数以上が停車する。
地形

市は森林セラピー基地に認定されている。

山:大山華厳山、高取山、鳶尾山、鐘ヶ嶽、高松山、日向山

河川:相模川水系

一級河川(神奈川県管理、一部は神奈川県厚木土木事務所許認可指導課管理)6河川
相模川・中津川荻野川小鮎川玉川・細田川

準用河川(厚木市河川ふれあい課管理)3河川
恩曽川・善明川・山際川

普通河川(厚木市河川ふれあい課管理、一部は下水道施設課管理)23河川
真弓川・蟹渕川・田尻川・北久保川・荒井川・王子川・清田谷川・仲田川・大平川・横林川・岩坂堀・筧ヶ沢・阿弥陀川・干無川・野竹沢川・市道川・竹ノ花排水・深沢(峰岸川)・谷戸川・久保屋敷川・上村川・堀合川・岩田堀山際川と恩曽川の一部は普通河川扱いとなる、また、上記以外の厚木市が把握、管理(市による河川の定義が無い為)していない河川も存在し、地域住民が管理し愛称などで呼ばれている。

厚木の名称利用

比較的古い時期から県央の中心都市として発展した地域であるため、それにあやかって「厚木」「アツギ」「あつぎ」「ATSUGI」などを名称に冠する企業・組織・施設も多いが、そのいくつかは厚木市内に所在せず登記もされていない。その一例として以下が挙げられる。

厚木駅 - 海老名市(経緯は厚木駅#概要を参照)
小田急小田原線相模厚木駅が「本来の厚木」の意味で「本厚木駅」へ改称された。

在日米軍厚木基地 - 綾瀬市大和市

アツギ本社(旧社名:厚木ナイロン工業) - 海老名市(創業も海老名市)

内陸工業団地愛川町域内の事業所 - ヤマト運輸厚木ゲートウェイベース、MFLP厚木、GLP厚木(厚木IIも伊勢原市)、牧野フライス製作所厚木事業所、など

そのほか厚木市外の事業所 - 雪印乳業厚木マーガリン工場(海老名市)、名鉄運輸厚木支店(伊勢原市)、東罐興業厚木工場(綾瀬市)、など

隣接している自治体・行政区

伊勢原市海老名市相模原市中央区南区)、座間市秦野市平塚市愛甲郡愛川町、愛甲郡清川村高座郡寒川町
歴史
中世

当市域から愛川町南東部にかけて毛利荘(もりのしょう)が置かれた。平安末期、毛利荘は源義家の息子義隆の所領となった。鎌倉時代初期には毛利景行の所領となっていたが、景行は和田合戦に参加して敗北し領地は鎌倉幕府に没収されたと考えられる。その後幕府の政所初代別当(長官)となった大江広元の所領となり、広元の四男・季光毛利氏を名乗る。鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて毛利氏は本拠地を安芸国高田郡吉田庄(現在の広島県安芸高田市吉田町)に移し、戦国大名近世大名に成長する。毛利氏の領国換後、毛利荘は安達盛長の所領となったと推定される(厚木市飯山清金剛寺に墓が残る)。霜月騒動後、得宗領となったと考えられる。


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