即位紀元
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1926年昭和昭和天皇(裕仁)
1989年平成明仁
2019年令和徳仁

朝鮮「朝鮮の暦」も参照

元号の使用は朝鮮半島を支配した歴史上の様々な国を通じて広く見られた。朝鮮固有の元号は391年から1274年の間に使用されていたが、以降は高麗李氏朝鮮が宗主国と仰ぐ中華王朝、、明、清の元号をそのまま使用した。だが日清戦争によって中国の支配を離れた大韓帝国が成立した1894年からは光武などの独自の元号が使用された。日韓併合の年である1910年以降は日本統治によって日本の元号が使用され、日本支配を脱する1945年まで続いた。

李氏朝鮮の後半期は、建国の年である1392年を元年とする紀年法も用いられた。また第2次世界大戦後の1952年から1961年までの韓国では、高麗時代に記された史書『三国遺事』に登場する伝説の王・檀君古朝鮮を建国したとされる紀元前2333年を元年とした檀君紀元が使用されていた。

李氏朝鮮時代に朝鮮は明と清への敬意と忠誠を示すものとして中国の年号を使った[7]。漢民族王朝の明が女真族の清に置き換わった後は、表向きは清王朝の元号を使いつつも、1644年に崩御した明の最後の皇帝・崇禎帝の元号・崇禎を元年とした崇禎紀元を密かに使い続け[7]、約200年間続いた[要出典]。しかし清が圧力を及ぼしたためにこれは大抵の場合非公式に使われた[要出典]。

朝鮮の年号の伝統は金日成の誕生年1912年を主体元年としながら北朝鮮の主体年号に残っている。
ベトナム「ベトナムの暦(英語版)」も参照

ベトナム史における元号の使用は独立したベトナムの王朝(英語版)が自らの元号を主張し始めた6世紀中葉から始まった[2][4][3]。称号が年の一体化と計数の目的で歴史上のベトナムで採用された。阮朝が終演する1945年まで続いた。
インド圏
インド
オディシャ詳細は「アンカ年(英語版)」を参照

アンカ年(オリヤー語: ???? A?ka)制度は在位期間を示すための東ガンガ朝の王が制定した独特の即位紀元である。在位中に経過する実際の持続期間とは異なる即位紀元を示す数々の特色があった。この制度は今日依然として残っていて、プリ階級(英語版)のガジャパティ・マハラジャのデビャシンハ・デバ(英語版)であるプリ王の有名無実の即位紀元を示すオディア・パンジスで使われて、王の肩書きはオディシャの歴史的な統治王の遺産を支えている。時期算定のオディシャ形式としても知られている[10][11][12][13]

特色:

アンカ制度は常にバードラ・スキア・ドゥワーダシとして知られるバドラ月(8月-9月)のうららかな14日間の12日目に当たるスニアと呼ばれるオディアの新会計年度に始まる。王がこの日の数日前に王位を継承したら、在位の1年目は数日長くなる。

硬貨は新年の日付で鋳造され、従って硬貨はアンカ2年目が与えられ、1番は使わない。

6で終わる年は全て抜かされた。アンカ年ではアンカ第5年はアンカ第7年が続くために、アンカ第15年はアンカ第17年が続き、この繰り返しとなる。

アンカ第10年を除き0で終わる年も全て抜かされた。

従ってアンカ年に1、6、16、20、26、30、36、40、46、50、56といった年は存在しない。

実際の即位紀元とアンカ年の時系列(即位30周年まで示す)即位紀元123456789101112131415161718192021222324252627282930
アンカ年23457891011121314151718192122232425272829313233343537

プリの王ガジャパティ王の即位紀元とアンカ年
(1970年7月7日からの有名無実の在位)グレゴリオ暦即位紀元オディア年アンカ年
2022年52年???? ?????????
1430 Utka??bda?? ????
65 A?ka

英連邦王国「イングランド君主の即位紀元(英語版)」も参照

即位紀元は同じ君主を共有する主権国家15か国の一部の英連邦王国で制限を受けた使い方をしながら続いている。英連邦王国の即位紀元のための現行の慣習はイングランド王国と共に始まり、公の文書に記すために即位紀元を使った。イングランドの即位紀元算出制度の新しい即位紀元は元々君主の王位継承の日と共に始まった。しかしこの制度は1307年にエドワード2世の即位と共に始まりながら君主が王位を継承した日に始めることで変化した[14]

同じ王位継承系統を共有するので、英連邦王国を通じて使われる即位紀元は互いに一致している。現在の君主チャールズ3世は母のエリザベス2世の死後に2022年9月8日に即位した。従って9月7日をそれぞれの即位紀元年の最終日としながら、2022年9月8日はチャールズ3世の即位紀元第1年の始まりの日と考えられている。

グレゴリオ暦即位紀元君主
2022年チャールズ3世第1年チャールズ3世

カナダ

即位紀元で日付を用いる制度は全てのカナダ議会の法律(英語版)用の番号制度で使われている。法律は全て即位紀元年と在位するカナダ国王の名前と共に裁可(英語版)を受けた順番に割り当てられた個別の章番号が与えられる[15]グレゴリオ暦を使う方が一般的であるが、法律の引用(英語版)における即位紀元年の使用はカナダでの法律の施行にとって無難なものである[16]

1949年にグレゴリオ暦に置き換わるまで即位紀元年はオンタリオ州議会(英語版)の立法会議の書籍を通じて使われた。しかし即位紀元年は議会の立法会議の書籍のタイトルページで使われ続けている[16]
イギリス

イギリスでの即位紀元年の使用はイギリスのカントリーであるイングランドに起源がある。紀元によって日付を付ける制度はグレゴリオ暦を使って文書に日付を付け始める1963まで国会の会議の文書に日付を付けるために使われた[14]。グレゴリオ暦への変更は1962年議会番号付け及び引用に関する法律(英語版)に基づき立法化された。
同様の慣行
中華民国詳細は「民国紀元」を参照

この暦は元年として中華民国が建国した年である1912年を使っている[17]。この制度は元号(英語版)や即位紀元年ではないが、中華民国の暦は中国の歴史的な元号制度に根源がある。中華民国の暦は正式には1949年まで中国大陸で使われ、今日依然として正式に中華民国在台湾が使っている。
アメリカ合衆国

厳密には即位紀元ではない一方でアメリカ合衆国の時間は独立宣言(1776年7月4日)に由来する可能性がある。例えばアメリカ合衆国憲法は「西暦1787年の年でアメリカ合衆国独立から12年目の年」に署名されたとして記録され、大統領の布告はしばしば「この布告を証するためにここに西暦「何年」かつアメリカ合衆国独立の何年の年の「月」のこの「第」何日に署名している」で終える。2024年はこの年の7月4日やその後のアメリカ合衆国独立の249th年である。時間は時に第112議会の下院法案第2号が「第112議会第1会議」と記されるように議会の会期(必要なら会議)で考えられている[18]
参照^ Lu, Zongli (2003). Power of the words: Chen prophecy in Chinese politics, AD 265-618. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9783906769561. https://books.google.com/books?id=ZvYvAQAAIAAJ&q=era+name+nian+hao+origin 


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