博覧会
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これには相互にも開催を取り上げることで、さらに効果をあげた。
紀元2600年万博と東京オリンピックの中止

昭和に入ると、日本で国際博覧会を開催しようとする機運が高まり、議会でも議論された。紀元2600年に当たる1940年(昭和15年)を期して日本で紀元2600年記念日本万国博覧会を開催することに決まった(1934年(昭和9年)に日本万国博覧協会創立)。また、東京オリンピックの同年開催も1936年(昭和11年)に決定し準備が進められた。しかし、日中戦争が激化したため、参加国の減少が見込まれたこと、及び軍部の反対により、1938年(昭和13年)に開催中止が決定した。
日本万国博覧会(大阪万博)

「人類の進歩と調和」をテーマに、1970年(昭和45年)、大阪府吹田市で開催された。77の国が参加したアジアで最初の国際博覧会であった。詳しくは「日本万国博覧会」を参照。

大阪万博以降の特別博覧会としては以下の3博覧会がある。国際博覧会も参照。

沖縄国際海洋博覧会沖縄県国頭郡本部町1975年(昭和50年)?1976年(昭和51年))

国際科学技術博覧会(つくば万博、筑波研究学園都市茨城県つくば市)、1985年(昭和60年))

国際花と緑の博覧会(花の万博、大阪府大阪市1990年平成2年))

地方博覧会ブーム

第二次世界大戦の以降も各地で博覧会が開催されていたが、中でも特に成功を収め、地方博覧会ブームの先駆けとなったのは、1981年(昭和56年)に神戸で開催されたポートピア'81である。埋立地にインフラ整備を行って、博覧会を契機に跡地開発を進めるという発想は、大阪万博に倣ったものである。大きな成功を収めて市政改革事業の通称『株式会社神戸市』の面目躍如となった。

その後、バブル景気市制100周年事業と重なる1989年(平成元年)の前後数年間に、横浜博覧会など各地で地方博ブームが起こった。しかし1990年代に入るとバブル崩壊とともに沈静化し、東京臨海副都心で行われる予定だった世界都市博覧会は中止された。これ以降も様々な博覧会は行われているが「博覧会は必要なのか」という疑問の声も大きくなっていった。地方博ブームだった1988年(昭和63年)に開催された博覧会はほとんどが黒字だったが、札幌市などで開催された世界・食の祭典は運営の杜撰さが祟って90億円という大赤字を出した。「Category:地方博覧会」も参照
2005年日本国際博覧会(愛・地球博、愛知万博)

「自然の叡智」をメインテーマに、「地球大交流」をコンセプトに、2005年(平成17年)に愛知県長久手町(現:長久手市)、愛知県瀬戸市などで開催された。日本の万博史上最多の120を超える国々が参加した21世紀最初の国際博覧会であった。詳しくは「2005年日本国際博覧会」を参照。
日本国内の博覧会の一覧※全国菓子大博覧会および全国都市緑化フェアについては以下の一覧に掲載していない。
第二次大戦前

大学南校物産会(東京府1871年

京都博覧会京都府1871年

湯島聖堂博覧会東京府1872年

名古屋博覧会(愛知県1874年

奈良博覧会(奈良県1875年

宮城博覧会(宮城県仙台1876年

勧業博覧会(長崎県長崎1877年

内国勧業博覧会(東京府、1877年1881年1890年)、(京都府、1895年)、(大阪府1903年

水産博覧会(兵庫県神戸市和田岬「和楽園水族館」、1897年

東京勧業博覧会(東京府、1907年

関西府県連合共進会(各地、1883年) - 1910年

一府八県連合共進会(富山県1913年

東京大正博覧会(東京府、1914年

大典記念京都博覧会(京都府、1915年


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