博報堂
かつてはマッキャンエリクソンと業務提携を行っていた。現在は、オムニコム系列のTBWAとの合弁会社「TBWA\HAKUHODO[注 1]」を東京に設立。
沿革神田錦町の博報堂旧本社テラススクエア
1895年10月 - 瀬木博尚によって創業。社名の由来は、瀬木の経営理念「博く、華客に奉仕報酬する」から。
1914年10月 - 本社を神田区錦町に移転。
1924年2月11日 - 株式会社に改組。瀬木博尚、初代取締役社長に就任。
1930年6月 - 新社屋(錦町本館)竣工。
1948年9月 -「博報堂月報」を発刊(のちに「広告」と改題)。
1950年8月 - 株式会社内外通信社博報堂に商号変更。
1955年4月 - 株式会社博報堂に商号変更。
1957年6月 - 得意先ごとのグループ制を採用。AE(アカウント・エグゼクティブ)という概念を導入。
1960年1月 -「博報堂宣言」を発表。
1981年9月 -「生活者の視点に立つ」発想を明示し、博報堂生活総合研究所を設立。
1982年6月 - 松下電器(現・パナソニックホールディングス)のCM「光のメニュー」が、カンヌ国際広告祭でグランプリ受賞。
1991年5月 -「グランド・デザイン・パートナー」宣言。
1993年6月 - カンヌ国際広告祭で、日清食品・カップヌードル「hungry?モア」篇、「hungry?シンテトケラス」篇でフィルム部門グランプリ。
1995年7月 - 社長の東海林が「3P戦略」と「MD(マーケットデザイン)戦略」を示す。博報堂100周年を記念してロゴが作られた。
2001年10月26日 - 大広および読売広告社との間で、業務提携契約を締結。
2002年5月 -「パワーブランド・パートナー」宣言。
2002年12月2日 - 共同持株会社の設立による経営統合に合意。
2003年6月 - カンヌ国際広告祭50周年記念式典にて特別賞を受賞。
2003年10月1日 - 株式会社博報堂DYホールディングス設立。同社の完全子会社となる。
2008年5月1日 - 本社を赤坂サカス内赤坂Bizタワーに移転。新しいグループマークとロゴを導入。
2014年4月 - 博報堂DYメディアパートナーズとの合同ビジョン制定。
2019年7月 - 新しいVIセンタードットを導入。
2023年2月 -博報堂、READYFORおよびYahoo! JAPAN SDGsと共同で、SDGs視点で商品・サービスの開発を支援するプログラム「Social Booster?」提供開始
神田錦町の旧本社ビルは1930年竣工(後年増築)、岡田信一郎設計の様式建築であった。2009年には近隣地権者との共同再開発に伴い取り壊されたが、その後、複合ビル「テラススクエア」内に外観が再現された[4]。
歴代社長・会長期間社長会長
1895年10月1938年12月瀬木博尚なし
1939年1月1965年12月瀬木博信
1966年1月1972年12月瀬木庸介瀬木博政
1973年1月1975年6月福井純一
1975年7月1983年11月近藤道生
1983年12月1994年1月磯邊律男近藤道生
1994年2月2000年1月東海林隆磯邊律男
2000年2月2003年9月宮川智雄東海林隆
2003年10月2010年5月成田純治宮川智雄
2010年6月2017年4月戸田裕一成田純治
2017年4月現在水島正幸戸田裕一
企業体質
創業者の瀬木家は、現在も博報堂DYホールディングスの大株主である。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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