2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[13]。
丁目事業所数従業員数 経済センサスによる事業所数の推移。 事業者数推移年事業者数 経済センサスによる従業員数の推移。 従業員数推移年従業員数 南馬込四丁目32番8号に、三島由紀夫が1959年(昭和34年)5月から居住していた家がある[注釈 1]。
南馬込一丁目87事業所706人
南馬込二丁目65事業所458人
南馬込三丁目64事業所357人
南馬込四丁目77事業所390人
南馬込五丁目185事業所1,377人
南馬込六丁目59事業所607人
計537事業所3,895人
事業者数の変遷
2016年(平成28年)[14]505
2021年(令和3年)[13]537
従業員数の変遷
2016年(平成28年)[14]3,263
2021年(令和3年)[13]3,895
施設
大田区立馬込小学校
大田区立梅田小学校
大田区立馬込第二小学校
大田区立馬込東中学校
東京都交通局馬込車両検修場(都営浅草線の車両基地。正門には東京都交通局馬込車両基地と表示がある)
南晴寺
大倉山公園
萬福寺
長遠寺
八幡神社
北野神社
湯殿神社
神明神社
善照寺
河原家住宅
大田区立郷土博物館
大田区立熊谷恒子記念館
大田区立馬込区民センター
大田区立南馬込文化センター
その他
日本郵便
郵便番号 : 143-0025[3](集配局 : 大森郵便局[23])。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ この三島の家の住所表記は、1965年(昭和40年)11月の住居表示制度の実施で「南馬込四丁目32番8号」に変更されるまでの間、三島由紀夫が知人らに宛てた書簡や、贈呈本に添付した自身の名刺で「馬込東一丁目1333番地」と記載され(エアメールでは、Magome-higashi)[15][16][17]、三島研究者編纂の全集の年譜や複数の評伝でも町名を「馬込東」と記載しているが[18][19][20]、大田区の住居表示を記録した『住居表示旧新・新旧対照表. 6の2(昭和40年11月15日施行)』の300頁によると、南馬込四丁目32番8号は馬込町東一丁目1333番地に当たり、当地の居住者には平岡公威の名(三島由紀夫の本名)が記載されている[21]。なお、川端康成が書いた三島宛の書簡では1962年(昭和37年)以降に「馬込東」と「馬込町東」の両方の表記が見られる[22]。
出典^ a b “住民基本台帳による東京都の世帯と人口(町丁別・年齢別) 令和5年1月
^ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)
^ a b “南馬込の郵便番号