南里侑香
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南里 侑香(なんり ゆうか、1984年3月13日[1] - )は、日本女優声優歌手長崎県佐世保市出身[1][2]。所属事務所はスペースクラフト・エージェンシー。所属レーベルはFlyingDog。身長157cm。血液型はA型[1]FictionJunction YUUKAのボーカル・YUUKAとしても活動している。
略歴

1984年、長崎県佐世保市に生まれる。5歳の時、家族の転居に伴い東京に移住[3]。通っていた学校の合唱発表の際に口パクだったことを心配した母親の勧めにより、小学2年で地域の合唱団に入団、周囲に感化され歌うことの楽しさに目覚める[4][5]。8歳、合唱団の知人らと家族ぐるみで芝居を観劇するようになり、その時観たファミリーミュージカルに衝撃を受け自らも舞台に立ちたいと願うようになる[6][1]。家族を説得し10歳でオーディションを受け東京児童劇団に所属[3]子役としてCMやNHK教育テレビうたってオドロンパ』等に出演していた[5][7]

1996年、ミュージカル『THE GOODBYE GIRL』ルーシー・マクフェダン役で12歳にして念願の初舞台を踏む[8]1997年南青山少女歌劇団に7期生として入団。2000年以降頭角を現し、2001年の卒団までに主演3作、劇団の中心メンバーとして活躍した[9]2001年、スペースクラフトに緒方恵美堀尾裕樹が移籍してきたことにより声優部門が開拓される[10][11]。この時南里は舞台経験者でキャストが固められた『パワーパフガールズ』日本語吹き替え版の主役の一人の座を射止め[12]、声優としての第一歩を踏み出す[6]2003年、以前から南里の声に注目していたという梶浦由記によって、アニメ『機動戦士ガンダムSEED』挿入歌「暁の車」のボーカリストに抜擢される[13]FictionJunction YUUKA名義[注 1]でのデビューとなったこの楽曲は公称20万枚[14]のヒット作となり、南里のプロ歌手活動のきっかけとなっている[6]。梶浦との最初の出会いは1998年とされ、当時は南青山少女歌劇団の音楽制作・歌唱指導者と劇団員の一人という関係であった[15]。梶浦は南里の初主演作品[注 2]で組んだ際「なんて悲しい声なんだろう!」という印象を持ったといい、更に後年には「真ん中にある芯に、ギューっと音が集まっていく、日本語を乗せるための細かく刻むメロディーが歌える声」と評した[13]

また、時を同じくして2003年に千葉紗子との歌手ユニットtiarawayの活動が始まる。シングル3枚アルバム1枚をリリースするも、2005年3月の1stコンサートにおいて電撃的に解散を発表[16]、以降一切の活動を休止した。解散の理由は明言されていないが、関連する事実としてサイトロン・デジタルコンテンツのtiaraway担当プロデューサー志倉千代丸と担当ディレクター斎藤滋[17]が直後に同社を退社[18][19][20]していることが挙げられる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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