南洋諸島
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1926年 - 1947年昭和天皇

南洋庁長官
1922年 - 1923年手塚敏郎
1943年 - 1946年細萱戊子郎

面積
1,779km²

人口
1937年109,847人

変遷
ヴェルサイユ条約により委任統治開始1919年11月7日
太平洋諸島信託統治領成立1947年7月18日

通貨
時間帯UTC +9 - +11
現在 パラオ
ミクロネシア
マーシャル諸島
北マリアナ諸島

南洋諸島(なんようしょとう、旧字体:南洋諸󠄀島)は、かつて大日本帝国国際連盟によって委任統治を託された西太平洋赤道付近に広がるミクロネシアの島々を指す。現在の北マリアナ諸島パラオマーシャル諸島ミクロネシア連邦に相当する地域である。

別名は南洋群島(なんようぐんとう)。当時の日本人は内南洋(うちなんよう)とも言った[注釈 1]
歴史
前史前近代の歴史については「スペイン領東インド」及び「ドイツ領ニューギニア」も参照

この地域は16世紀初めにポルトガルの航海者によって発見された[1]17世紀初頭よりスペインはこの地一帯を植民地化し、フィリピンと共に「スペイン領東インド」を形成していた。同地のマリアナ諸島やカロリン諸島という地名は、それぞれマリアナ王妃カルロス2世国王に由来する。

その後、1899年(明治32年)にドイツの植民地となった[1]1885年にドイツはマーシャル諸島を占領。そして、米西戦争で負けたスペインにスペイン領東インド(フィリピン、グアムを除く)の売却を持ちかけ、2500万ペセタで買い取った。ドイツはカイザー・ヴィルヘルムスラント(現在のパプアニューギニア北部)と合わせて、「ドイツ領ニューギニア」を成立させた。

南洋諸島への日本企業の進出は明治時代には始まっており、1890年(明治23年)に田口卯吉が南島商会を組織して帆船天祐丸により交易を行って帰港したのを嚆矢とする[2]

1914年(大正3年)に第一次世界大戦が始まると、日本は日英同盟に基づいて連合国の一員として参戦し、ドイツ領だったこれらの島々を無血占領した[3]。同年10月には特別陸戦隊が進駐し、同年12月には臨時南洋群島防備隊条例(大正3年内務省令401号)により臨時南洋群島防備隊が設置された[3]。そしてサイパンパラオトラックポナペヤルートの5つの民政区に分け、それぞれ守備隊が配置された[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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