南洋幻想
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また、1930年代にヒットした歌曲「酋長の娘」(石田一松作詞・作曲)も、聞く人に「裸で、無知で、官能的で、黒い肌の」人々の住む南海の楽園を想像させた[11]

第二次世界大戦の只中、敵性文化の排斥著しい1942年(昭和17年)10月、ジェームズ・チャーチワードの著作: The Lost Continent of Mu(『失われたムー大陸』1931年)、: The Children of Mu(『ムー大陸の子孫たち』1931年)の2冊を仲木貞一が抄訳した『南洋諸島の古代文化』(岡倉書房 菊版260ページ31章 初版3000部)[12]外部リンク『南洋諸島の古代文化』参照)が出版され、南洋幻想の概念に、新しくムー大陸が登場し、戦後の様々な作品へと融合、波及していった。

日本人が国名が示されることの無い「南の島」という言葉や「南洋」という言葉に抱く漠然とした「暖かく、未知の発見と出会いのある、ロマンチックなユートピア」であるというイメージはこうした背景から生まれている[13]
関連項目

椰子の実

オリエンタリズム

南進論

バナナ#日本における歴史台湾バナナ#日本における台湾バナナ

冒険ダン吉モスラ

熱川バナナワニ園東洋のハワイ(指宿温泉)常磐ハワイアンセンター(および全国各地に出現した「常磐ハワイアンセンター」類似施設)、ジャングル風呂

ユートピアアルカディア

パラダイス楽園

ハワイの夜 - クレイジーケンバンドの曲および鶴田浩二の曲(両曲に関連性は無い)。

脚注^ a b c 『なぜ「南」は懐かしいのか』(長山靖生著)p.77
^ 南洋群島とインファント島(PDF)_猪俣賢司
^ 『南島イデオロギーの発生』(福武書店、村井紀著)
^ 熊野信仰の南方浄土説話やうつろ船伝説などがそれにあたる。
^ 江戸中期に入り新井白石がはじめて、民俗学地誌学的に南の島(琉球)の研究に取り組み、1719年(享保4年)に『南島志』を発表した。
^ 『近代日本と東アジア』(荒野泰典著)
^ 『なぜ「南」は懐かしいのか』(長山靖生著)p.79
^ 『観光人類学の挑戦』(山下晋司著)p.130
^ 『海洋文学と南進思想』(柳田泉著)
^ 『なぜ「南」は懐かしいのか』(長山靖生著)p.72
^ 『観光人類学の挑戦』(山下晋司著)p.133
^ 藤野七穂「偽史と野望の陥没大陸」『歴史を変えた偽書』ジャパン・ミックス編 1996年(平成8年) ISBN 4-88321-190-8 78pp
^ 『なぜ「南」は懐かしいのか』(長山靖生著)p.89

参考文献

『偽史冒険世界』(
筑摩書房長山靖生著)

『南島イデオロギーの発生』(福武書店、村井紀著)

『南方に死す』(1994年、集英社文庫、荒俣宏著)ISBN 978-4087482058

『日本の南洋史観』(中央公論社矢野暢著)

『観光人類学の挑戦』(講談社山下晋司著)

外部リンク

『南洋諸島の古代文化
』 - 国立国会図書館デジタルコレクション


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