南極海
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2008年にはウィルキンス棚氷の末端部が急速に崩壊しつつあることが確認され、南極半島とは細い氷床でつながっているだけとなっていたが[12]、2009年4月5日には南極大陸からの分離が確認され、棚氷ではなくなった[13]。こうした棚氷の崩壊の最大の原因は、海水温の上昇によって棚氷の底面が融解しつつあることが大きな原因の一つとされる[14]

南極海には多数の氷山が浮遊している。南極海の氷山は南極大陸の棚氷が割れて海へと流れ出たものであるため、多くはテーブル型の平らな形をしており、巨大なものが多い。南極の氷山の北上する限界点は、ごくまれにある巨大すぎて溶け切れなかったものを除けば南緯60度前後であり、南極海とほぼ一致する。また、南極大陸に近づくにしたがって海そのものが凍り始め、南極大陸沿岸やウェッデル海は年間を通じて結氷したままである。こうした永久氷に覆われた海域は、しかし北極海と比べると非常に小さい。南極大陸沿岸の多くの部分で、永久氷は大陸の縁に20kmから30kmほど張り付いているに過ぎない。これは、北極海が閉鎖性海域であるうえ北極点が洋上にあるのに対し、南極海は極点が大陸上にあるため最も寒い区域は海上にないことや、南極海が広く開けた海域であり、また常に強風が吹いているために氷の定着が妨げられることによる。このため、南極海の氷の多くは一年で成長し融解する流氷となっている。この流氷は夏季になれば大部分は溶けるものの、一部は残存し、また風によって吹き寄せられることが多いため、夏季においても各国の就航させる南極砕氷船が氷に閉じ込められることがよくある。逆に、冬季にはこの氷は非常に成長する。

海氷に覆われたこうした海域にも、ところどころにポリニヤと呼ばれる氷のない水域が存在する。これは深海からの温かい水の上昇や海流の影響などによってできるもので、栄養が豊富なうえ日光をよく吸収し温暖となるため、光合成をおこなう植物プランクトンが繁殖しやすく、さらにそれを餌とする動物も多く集まるなど、生物にとってのオアシス的存在となっている[15]
海流

南極海では南極周極流(南極環流)と呼ばれる大きな海流が流れており、南極海とはこの海流によって結ばれた海域を指すと言ってよい。南極周極流は寒流であり、上空の偏西風帯の影響を受けるために西から東へと流れる。流速は速くはないが、横幅も上下幅も広いため、流量は莫大なものになる。一方で、南極大陸沿岸には東から西へと風の吹く緯度帯があるため、海流もそれにつれて東から西へと流れる。これは東風皮流と呼ばれ、南極周回流とは逆方向に流れるため、この2つの海流の接点には潮目ができ、ここに深層から温かい水が上昇してくる。この水は栄養に富み、多くの植物プランクトンを繁殖させる。

南極海の水は、冷たい表層水、暖かい深層水、非常に冷たい底層水の3つに大きく分かれる。表層の水は海氷や空気によって冷やされ、マイナスの温度となっている。一方、深層の水はプラスの温度であり、暖かい。この2つの水とは別に、南極大陸の沿岸やロス棚氷ウェッデル海などでは海水が氷によって激しく冷やされ、大陸のふちに沿って海底にまで沈んでゆく。とくにウェッデル海においてこのプロセスは最も盛んである[16]。これは南極底層水とよばれ、グリーンランド沖で作られる北大西洋深層水とともに深海に沈み込む水塊として、熱塩循環(海洋大循環)の重要な要素となっている[17]。南極海においては、あと二つ重要な水塊が存在する。周極深層水は北大西洋深層水を起源とする暖かく高塩分な水塊であり、大陸棚に流入することで南極氷床が融解させる原因となっている。このほか、さらに北側において形成される南極中層水がある。この水塊は上記の2つの水塊よりさらに温かいため、深層まで流れ下らずに中層でとどまり、そこで広がる。南極底層水と南極中層水は、大西洋・インド洋・太平洋の三大洋すべてに流入する[18]

南極周極流のさらに南側には、ウェッデル循環(Weddell Gyre)とロス循環(Ross Gyre)の2つの亜寒帯循環(環流)が存在する。いずれもウェッデル海とロス海の周辺のみを、時計回りに回る環流である。他の南極海沿岸域では、南極環流が大陸に接近しており、沖合の暖水が大陸棚に流入しやすい状況になっている。
海底

南極海の海底は、南極大陸の大陸棚部分を除けば、広い海盆によって取り巻かれている。南極半島から延びる南スコシア海嶺はスコシア海南縁沿いにサウスサンドウィッチ海溝まで伸び、さらに東に南アメリカ南極海嶺が続くが、これらの海嶺の南方にウェッデル海盆が広がる。ブーベ島南方を境にエンダービー海盆が大西洋南端の中ほどからインド洋南端の中央部まで広がり、ケルゲレン海台によって終わる。海台の東側からはオーストラリア南極海盆が広がり、北のニュージーランドから延びてくるマッコーリー海嶺で終わる。マッコーリー海嶺の東側には太平洋南極海嶺が東西に延びるが、この海嶺はやがてアムンゼン海の北付近でより北へ向きを変え、かわってアムンゼン海盆、ベリングスハウゼン海盆が広がる。この海盆の東端は南極半島である。

南極海の海底には、陸地から流出した堆積物が厚く堆積している。他大洋と違い、この堆積物は河川から流入したものではなく、氷河から流入したものである。南極大陸の厚い氷床から張り出した棚氷は氷山となって南極海へと流れだすが、この氷山には氷床の下の大陸から削り出された石や砂が多量に含まれている。氷山は南極海内にてほぼ溶けるが、この際に氷山に含まれていたも海中に放出され、その下の海底へと堆積するのである。氷山がの役割を果たすため、河川からの堆積物に比べ氷山からの堆積物はより陸地から離れたところにまで到達する。河川による堆積物は川を流れていく最中で細粒化され細かい泥となって堆積するが、氷河ではそういった細粒化の働きが小さいため、氷河からの堆積物はから細かい砂にいたるまでさまざまな大きさのものを含み、均一化されていない点に特徴がある。この氷河堆積物地帯は、南極大陸をぐるりと取り囲んでおり、南極大陸からおよそ1000km沖合にまで厚く堆積し層をなしている[19]。この氷河堆積物地帯の北側には、珪藻を起源とする軟泥が、やはり南極大陸を取り巻くように分布している。他大洋と違い、南極海に接する大陸は南極大陸のみであり、南極大陸には流水がほぼ存在しないため、南極海に流入する恒久河川は存在しない。また、南極海沿岸のほとんどは氷におおわれているため、波による海岸の浸食がほとんど存在しないことも特徴である[20]
探検史

人類史上初めて南極海を周航したのは、ジェームズ・クックである。彼は1772年から1775年にかけての第2回航海で英国軍艦レゾリューション号を指揮して南極海を周航し、1773年1月17日にはヨーロッパ人としてはじめて南極圏に突入し、南緯71度10分まで達したが、南極大陸を発見することはできなかった。しかし彼の航海によって、南方の未確定領域は大幅に狭められ[21]、伝説の南方大陸(テラ・アウストラリス、メガラニカ)は存在しないことが明らかとなった[22]。クック自身は、氷山の形状などから彼が探検した海域の南方には大陸があることを予想していた[23]が、それは人類が居住できるようなものではないことも予測していた。また、クックはこの海域にクジラアザラシが多く生息していることを報告し、そのため1790年代以降にはこの海域にはアザラシ漁師たちが出没するようになった。


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