三芳地区は内房側、外房側の各地区と道路で結ばれており、内房側の各地区と外房側の各地区も、山中を通過する道路でつながってはいるが、鉄道や幹線道路を利用して最短距離で移動するためには館山市を通過する必要がある。後述するように館山市を含めた合併が破談となり、周辺町村のみが合併して変則的な行政区域となったが、館山市は同一生活圏にある。内房側の各地区と外房側の各地区を結ぶ山中を通過する道路 (伊予ヶ岳山頂より撮影 2010年2月) 富山地区(旧富山町) 富浦地区(旧富浦町) 三芳地区(旧三芳村) 和田地区(旧和田町) 丸山地区(旧丸山町) 千倉地区(旧千倉町) 白浜地区(旧白浜町) 本地域が位置する安房地域は718年(養老2年)に上総国から分かれ、明治初期まで安房国と呼ばれていた。国府は旧三芳村に置かれ、条里制の遺構も見られる。かつては多数の荘園があり、これらは中世末まで統治者の交代を繰り返した。 戦国時代に入り、15世紀中頃に里見氏が安房統一を果たし、戦国末期に館山城を築城し、安房国統治の拠点とした。江戸時代初期、里見氏は江戸幕府により1614年(慶長19年)に改易され、以降この地は旗本領、天領、小大名の領地として分割統治された。 近代に入り、1878年(明治11年)の郡区町編制法施行により郡制を施行し、1897年(明治30年)に「交通の便が相互にあり且つ民族風俗に大差がない」という理由から、安房郡、平郡、朝夷郡、長狭郡の4郡を合併して、昭和期の安房郡の前身となる「安房郡」が形成された。 2006年(平成18年)3月20日に安房郡富浦町、富山町、三芳村、白浜町、千倉町、丸山町、和田町が合併し、南房総市が発足した[10]。 2000年(平成12年)12月に、千葉県庁が発表した「合併推進要綱」では、安房地域の合併の枠組みは の3通りが示された。 これを受け、鴨川市、鋸南町、天津小湊町を含む安房郡市2市8町1村でまず合併の検討が始まり、2002年(平成14年)9月4日に任意合併協議会を設置した[11]。しかし、合併の枠組みで議論が分かれ[12]、安房地域全体での市町村統合を断念し[13]、2003年(平成15年)1月に任意合併協議会は解散することとなった[14]。 その後、上記 2.の枠組みである1市8町村で合併を検討することとなり[15]、2003年1月に法定合併協議会準備会を設置し[16]、法定合併協議会を設置して2003年4月23日に第1回の会議を開いた[17]。 新市名は全国を対象とした一般公募を行い[18]、「館山」が1位となったが[19]、8町村が「南房総市」を主張して館山市側と対立し[20]、2004年(平成16年)1月30日に賛成多数で「南房総」とした[21]。
隣接する自治体
館山市
鴨川市
安房郡:鋸南町
地区
旧岩井町 - 久枝、二部、検儀谷、市部、竹内、合戸、高崎、宮谷、小浦
旧平群村 - 吉沢、井野、川上、平久里中、荒川、山田、平塚、平久里下、犬掛
旧富浦町 - 富浦町南無谷、富浦町豊岡、富浦町原岡、富浦町多田良
旧八束村 - 富浦町青木、富浦町深名、富浦町丹生、富浦町宮本、富浦町大津、富浦町手取、富浦町居倉、富浦町福澤
旧滝田村 - 下堀、上堀、三坂、千代、下滝田、上滝田、増間
旧国府村 - 府中、本織、明石、谷向、川田、山下、大学口、海老敷
旧稲都村 - 池之内、中、御庄、山名
旧和田町 - 和田町花園、和田町柴、和田町仁我浦、和田町和田、和田町真浦
旧北三原村 - 和田町小川、和田町黒岩、和田町上三原、和田町小向、和田町布野、和田町磑森、和田町五十蔵
旧南三原村 - 和田町白渚、和田町下三原、和田町中三原、和田町海発、和田町松田、和田町沼
旧千歳村→千倉町 - 白子、峰、安馬谷、久保
旧豊田村 - 古川、岩糸、小戸、加茂、沓見、西原
旧丸村 - 丸本郷、前田、石神、珠師ケ谷、石堂、川谷、石堂原、宮下、御子神、大井、丸山平塚
旧千歳村 - 千倉町白子、千倉町川合、千倉町久保
旧健田村 - 千倉町瀬戸、千倉町牧田、千倉町宇田、千倉町川戸、千倉町大貫
旧千倉町 - 千倉町北朝夷、千倉町南朝夷、千倉町平舘、千倉町忽戸、千倉町川口
旧七浦村 - 千倉町平磯、千倉町千田、千倉町大川、千倉町白間津
旧白浜町 - 白浜町乙浜、白浜町白浜
旧長尾村 - 白浜町滝口、白浜町根本
歴史
沿革
合併の経緯
館山市・鴨川市・富浦町・富山町・鋸南町・三芳村・白浜町・千倉町・丸山町・和田町・天津小湊町
館山市・富浦町・富山町・鋸南町・三芳村・白浜町・千倉町・丸山町・和田町
鴨川市・和田町・天津小湊町
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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