この項目では、1927年の事件について説明しています。その他の用法については「南京事件 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
南京事件
北伐中
南京、1927年
時1927年3月21?27日
場所中華民国江蘇省南京
衝突した勢力
イギリス
アメリカ
日本
その他イタリア・オランダなど国民革命軍
指揮官
Sir Reginald Tyrwhitt
南京事件(ナンキンじけん)は、1927年(昭和2年)3月24日、北伐の途上において、?介石の国民革命軍の第2軍と第6軍を主力とする江右軍(総指揮・程潜)が南京を占領した際に発生した、日本・アメリカ・イギリスの領事館や居留民を虐殺・暴行・殺害・略奪・強姦し、おびただしい数の犠牲者を出した大量虐殺事件。北伐軍(国民党または共産党)、南京撤退時の軍閥、南京住民のいずれかによるものとされる。[1]。海軍陸戦隊を派遣した第24駆逐隊駆逐艦檜事件で活躍したアメリカ海軍クレムソン級駆逐艦「ノア(en)」事件で活躍したイギリス海軍練習艦「ヴィンディクティヴ」 1927年3月21日、?介石の国民革命軍は上海を占領し、南京攻略を目指して3月23日に南京城を包囲した[2]。 張宗昌ら直魯連合軍8万は戦わずに退却し、市民も逃げ惑い、南京城内は混乱した[2]。 3月22日朝、日本海軍は荒木亀男 南京在留日本側は、掠奪暴行が予想されたので3月22日に婦女子を領事館に避難させ、23日午後8時までに領事館舎15人、本館に38人、警察官舎に20人、書記生室に19人、署長官舎に10人を収容した[4]。 1927年(昭和2年)3月24日早朝、国民軍総司令?介石の北伐軍が南京に入城した。その軍長は程潜であった[5]。当初は平和裏に入城していたが、まもなく、「華俄一家」(「ソ連と中国は一家である」の意)、「日英帝国主義打倒」を連呼するなど反帝国主義を叫ぶ軍人や民衆の一部が外国の領事館や居留地などを襲撃して暴行・掠奪・破壊などを行い[6]、日本1人(後述の宿泊船警備の海軍兵)[7]、イギリス3人[7]、アメリカ合衆国1人[7]、イタリア1人、デンマーク1人の死者、2人の行方不明者が出た。
事件の経過
事件前
1919年、第一次世界大戦後、五四運動発生。
1924年、第一次国共合作。
1926年3月20日、中山艦事件
1926年7月1日、?介石が北伐宣言で北伐開始。
?介石・国民革命軍
張宗昌・直魯連合軍
南京在留日本
事件の発生
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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