南チロル
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オーストリア)    ボルツァーノ自治県(南チロル)
イタリア)    トレント自治県(トレンティーノ)
イタリア

トレンティーノ=アルト・アディジェ特別自治州に属する2つの県のうちの北側の県で、イタリア共和国最北端の県でもある。県都ボルツァーノは、州都トレントの北北東約51km、インスブルックの南約86km、サンモリッツの東約116km、ヴェネツィアの北北西約139kmに位置する。

県域は東西に長く、面積は約 7,400 km2 とイタリアの県の中で最大である[注釈 1]。北から東にかけてオーストリアと、西にスイスと、それぞれ境界を接する。トレント自治県も含めた広義のティロル地方の中央に位置するが、この広域地名は本県中西部のメラーノ近郊に位置するティローロ(ドイツ語名: ドルフ・ティロール)が発祥の地となっている。

隣接する県、およびそれに相当する行政区画は以下の通り。

インスブルック=ラント郡(英語版) (オーストリア・ティロル州) - 北

シュヴァーツ郡 (ティロル州) - 北東

ツェル・アム・ゼー郡 (オーストリア・ザルツブルク州) - 北東

リエンツ郡 (ティロル州) - 東

ベッルーノ県ヴェネト州) - 南東

トレント自治県 - 南

ソンドリオ県ロンバルディア州) - 南西

イン郡(英語版) (スイス・グラウビュンデン州) - 西

イムスト郡 (ティロル州) - 北西

地勢ボルツァーノ/南ティロル自治県 (地名表示はドイツ語)
河川と谷筋

県域のほとんどはアディジェ川(独: エッチュ川)の流域である。イタリアで2番目に長い川であるアディジェ川は、県北西部のレッシェン峠付近に源を発し、メラーノボルツァーノの市街を流れる。

県北東部から流れ下るリエンツァ川(独: リエンツ川)は、ブレッサノーネにおいて、ブレンネロ峠付近から流れるイザルコ川(独: アイザック川)を合わせ、ボルツァーノでアディジェ川に合流する。

県東端部のドッビアーコ付近を流れるドラーヴァ川ドナウ川水系に属しており、東へオーストリア領の東チロル(リエンツ郡)に流れ下る。

アルプスを越える著名な峠として、オーストリアのチロル州へ越えるブレンナー峠(伊: ブレンネロ峠、1375m)がある。この峠はブレッサノーネからイザルコ川をさかのぼったブレンネロに所在し、北にインスブルック(オーストリア・チロル州州都)に至る。この峠には高速道路や鉄道が通り、現代もティロル地方の南北、イタリアとオーストリアを結ぶ重要な交通路である。

ブレンナー峠のほか、県北側のオーストリア国境には、メラーノからヴァル・パッシーリア (it:Val Passiria) を上りモーゾ・イン・パッシーリアからエッツタールへと降りるティンメルスヨッホ(英語版)(2474 m)、アディジェ川最上流部のヴァル・ヴェノスタ(イタリア語版)からランデック郡(チロル州のイン川最上流部)へ越えるレッシェン峠(レージア峠、1504m、古代のクラウディア・アウグスタ街道)などの峠がある。

ヴァル・ヴェノスタから南西にソンドリオ県へ越えるステルヴィオ峠(2757m)は、アルプスで2番目に標高の高い峠である。
県内の地域と主要な都市

2001年の国勢調査に基づく居住地区(Localita abitata)別人口統計[5]によれば、人口5000人以上の都市・集落は以下の通り。( )内は所属コムーネ(自治体)名を示すが、都市・集落名と同一の場合は省いた。

ボルツァーノ / ボーツェン - 91,497人

メラーノ / メラーン - 30,087人

ブレッサノーネ / ブリクセン - 14,160人

ブルーニコ / ブルネック - 10,881人

ライヴェス / ライファース - 9,927人

ラーナ / ラーナ - 7,988人

カルダーロ・スッラ・ストラーダ・デル・ヴィーノ / カルテルン・アン・デア・ヴァインシュトラーセ - 5,460人

サン・ミケーレ / ザンクト・ミヒャエル (アッピアーノ・スッラ・ストラーダ・デル・ヴィーノ / エッパン・アン・デア・ヴァインシュトラーセ) - 5,268人
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ボルツァーノ

メラーノ

ブレッサノーネ

ブルーニコ

歴史1700年ごろ発行の絵地図に描かれたボルツァーノとその周辺
先史時代

水上コテージが住居として使用されていた。また、オーストリアとの国境地帯であるエッツ渓谷アイスマンが発見されている。
中世と近代

現在のボルツァーノ県域は、中世において神聖ローマ帝国のティロル伯領の一部であった。もともと、現在のイタリアとオーストリアにまたがる歴史的な「ティロル地方」は、ティローロ(ティロル)の伯爵が一帯を支配していたことに由来する。

伯位は、1363年ハプスブルク家ルドルフ4世の手に渡って以来、1918年までハプスブルク家の歴代当主に継承され、ティロル地方はドイツ語圏の一部として支配された。県域となる南ティロルはイタリア語圏との交錯地域であり、イタリア語を母語とする少数派住民もいた。

1805年フランスオーストリアとの間に結ばれたプレスブルクの和約によって、ティロル地方はオーストリアから、ナポレオンの同盟者であるバイエルン選帝侯(のちにバイエルン王マクシミリアン1世に割譲された。マクシミリアン1世はさまざまな改革を推進したが、ティロルの人々の反発を招き、1809年4月9日にアンドレアス・ホーファー(英語版)を指導者とする反乱が発生した。オーストリアのバイエルンへの侵攻(第五次対仏大同盟)と連動したものであり、ホーファーらはバイエルン兵をティロルから駆逐するが、オーストリアはフランスに敗北、1809年10月14日、シェーンブルンの和約で再度ティロルのバイエルンへの割譲を認めさせられた。


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