南アメリカ
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(km2)[7] (per sq mi)人口
(July 2009 est.)[7]人口密度
per km2首都
Argentina  アルゼンチン2766890 2,766,890 km2 (1,068,300 sq mi)40,482,0001430 14.3/km2 (37/sq mi)ブエノスアイレス
Bolivia  ボリビア1098580 1,098,580 km2 (424,160 sq mi)9,863,0000810 8.4/km2 (21.8/sq mi)ラパスまたはスクレ[8]
Brazil  ブラジル8514877 8,514,877 km2 (3,287,612 sq mi)191,241,7142200 22.0/km2 (57/sq mi)ブラジリア
Chile  チリ[9]0756950   756,950 km2 (292,260 sq mi)16,928,8732110 22/km2 (57/sq mi)サンティアゴ
Colombia  コロンビア1138910 1,138,910 km2 (439,740 sq mi)45,928,9703770 40/km2 (103.6/sq mi)ボゴタ
Ecuador  エクアドル0283560   283,560 km2 (109,480 sq mi)14,573,1014710 53.8/km2 (139.3/sq mi)キト
Falkland Islands  フォークランド諸島 (イギリス)[10]0012173    12,173 km2 (4,700 sq mi)3,140[11]0026 0.26/km2 (0.7/sq mi)ポート・スタンリー
French Guiana  フランス領ギアナ (フランス)0091000    91,000 km2 (35,000 sq mi)221,500[12]0210 2.7/km2 (5.4/sq mi)カイエンヌ
Guyana  ガイアナ0214999   214,999 km2 (83,012 sq mi)772,2980360 3.5/km2 (9.1/sq mi)ジョージタウン
Paraguay  パラグアイ0406750   406,750 km2 (157,050 sq mi)6,831,3061560 15.6/km2 (40.4/sq mi)アスンシオン
Peru  ペルー1285220 1,285,220 km2 (496,230 sq mi)29,132,0132170 22/km2 (57/sq mi)リマ
South Georgia and the South Sandwich Islands サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島 (イギリス)0003093     3,093 km2 (1,194 sq mi)200000 0/km2 (0/sq mi)キング・エドワード・ポイント[13]
Suriname  スリナム0163270   163,270 km2 (63,040 sq mi)472,0000270 3/km2 (7.8/sq mi)パラマリボ
Uruguay  ウルグアイ0176220   176,220 km2 (68,040 sq mi)3,477,7801940 19.4/km2 (50.2/sq mi)モンテビデオ
Venezuela  ベネズエラ09116445   916,445 km2 (353,841 sq mi)31,648,9302780 30.2/km2 (72/sq mi)カラカス
総計7007178245130000000?17,824,5137008385742554000000?385,742,55421.5/km2

歴史

南アメリカに人類が出現したのは「氷河の時代」や「人類の時代」といわれる更新世の末期である。その時期に東北アジアから野生の動物を追って渡来してきたモンゴロイドホモ・サピエンス・サピエンスの狩猟民が、気候の温暖化・乾燥化によって変化する環境に適応しながらこの地方に定着した。中央アンデスにおいてはやがてジャガイモトマトなどこの地域の植物を栽培化していき、この食料生産と農耕を基盤として独自の文明がはぐくまれた。これらの国家は消長を繰り返すが、15世紀末にはアンデス地域の過半はタワンティンスーユ(四つの地方)と呼ばれ、現ペルー南部高原のクスコを首都にしたインカ帝国によって統合されていた。このほかの地域では大規模な帝国は生まれなかった。

しかしインカ帝国は大航海時代からのヨーロッパ人の世界進出の波に飲み込まれ、1533年スペインフランシスコ・ピサロクスコに入城することでほぼ滅亡した。これによりスペインはインカ帝国の遺領を制圧し、さらに周辺地域にも支配を広げていき、16世紀中ごろにはアンデスなど南アメリカ大陸西部を中心として大陸の過半を支配下におさめていた。例外はポルトガルで、トルデシリャス条約の規定を根拠として大陸東部のブラジル北東部(ノルデステ)を中心に勢力を広げ、やがて大陸東半を支配下におさめた。ポルトガル領が17世紀初頭に一時オランダ領になるなどの変化もあったが、この勢力図は19世紀初頭に各植民地で独立運動が始まるまで基本的な変化はなかった。この両国はどちらもラテン系の国家であり、ラテン系の言語や文化が地域に深く浸透し、中米と並んでラテンアメリカと呼ばれることとなった。

19世紀初頭、ナポレオン戦争によってヨーロッパが混乱すると、南アメリカ各地でも独立への動きが表面化した。例外はブラジルで、本国をナポレオンに侵略されたポルトガル王室がリオデジャネイロに遷都し、ブラジルに根を下ろした。戦後も情勢は安定せず、シモン・ボリバルホセ・デ・サン=マルティンといった独立の英雄たちのもとで、南アメリカのスペイン領諸国は1820年代に相次いで独立した。次いで、ブラジルにおいても王室のポルトガル帰還に際して王家が分裂し、リオデジャネイロに残った王家はブラジル帝国の成立を宣言し、ここにスペイン・ポルトガル両国の南アメリカにおける領土は消滅し、南アメリカのほとんどは各独立国家によって統治されることとなった。

独立はしたものの、各国の統治体制は脆弱で、カウディーリョと呼ばれる地域ボスが各地に分立し、各国を専制的に支配することとなった。また、各国間の国境も明確に定まっているわけではなく、このため19世紀には各国間で領土をめぐる戦争が多発した。経済的には旧宗主国に代わってイギリスの強い影響下におかれることとなり、非公式帝国と呼ばれるイギリスの経済覇権が確立していた。1870年代以降になると、南アメリカ南部で政情が安定しはじめ、それに伴って経済成長がおこった。最初に情勢が安定したのはチリで、ここは建国以降政情の混乱が最小限にとどまり、順調に成長を続けていた。次いで、ブエノスアイレス州と内陸諸州との内戦をおさめたアルゼンチンが、冷凍船の開発に伴う牛肉輸出の爆発的増加によって経済成長を成し遂げた。ウルグアイもこの牛肉輸出ブームの恩恵にあずかり、20世紀初頭にはこの繁栄の中でホセ・バッジェ・イ・オルドーニェスがあらわれて福祉国家化がなされ、南アメリカでも最も安定した国家となった。ブラジルではコーヒーブームによってサンパウロ州などの農園主の発言力が増していき、1889年には皇帝が廃位されて共和制となったことで、南アメリカの国家はすべて共和制国家となった。この両期間を通じてブラジルの政情は安定しており、とくに南部を中心に経済が成長した。南米北部においてもプランテーション農業や鉱物輸出によってある程度の経済成長はあったが、南部に比べると政治的安定に欠け、成長も限定的なものにとどまった。

1930年代以降、南米各国では世界恐慌による一次産品価格の下落による経済危機に見舞われ、この混乱の中からポプリスモ(ポピュリスト)が各国に出現し、政権を握るようになっていった。アルゼンチンのフアン・ペロンや、ブラジルのジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスなどがその代表例である。しかし彼らの政策は経済の混乱を招き、その中で軍部がクーデターを起こして実権を握るようになっていき、1970年代半ばにはコロンビアやベネズエラなどの数か国を除いて、ウルグアイやチリなどのかつて安定した民主主義国家であった国々でさえ軍政が敷かれるようになっていた。しかし、軍部もまた経済危機を乗り越えることはできず、1980年代以降南米各国では急速に民主化が進んだ。
経済

この地域を統括する経済組織としては、1948年国際連合(UN)の下部組織として設置された国連ラテンアメリカ経済委員会(1984年に国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会に改称)[14]や、1961年に発足したラテンアメリカ自由貿易連合(通称LAFTA、1981年ラテンアメリカ統合連合に改組)[15]などがあったが、いずれも中米との統一組織の上、加盟各国の足並みの乱れなどでそれほどの効果が上がっていなかった。

そのため、近接する国家同士による経済機構結成の機運が生まれ、1969年ボリビアコロンビアエクアドルペルーベネズエラチリのアンデス6ヵ国によってアンデス共同体が結成され[16]、次いで1991年にはアルゼンチンブラジルパラグアイウルグアイの南アメリカ南部4ヵ国によってメルコスールが結成された[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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