南アフリカの人類化石遺跡群
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第3層からはヒト属の骨は出土していないが、それより下層でヒト属の出土例があることから、火の管理をしたのはヒト属だったと推測されている[33]。これは、ヒトによる火の使用が確実視できる最古の例である[33]

なお、スワルトクランスではシロアリを食べるときなどに使ったのではないかと考えられている尖った先端を持つ骨角器も見つかっている。これは、後述するドリモレンでも出土した[34]
クロムドライクロムドライ(2007年)

クロムドライ(英語版)はスタルクフォンテインから東北東に1.6kmの位置にある[25]。クロムドライは鍾乳洞としても有名である。

この遺跡の存在は、1938年に知られるようになった[35]。ブルームが前述の現場監督バーローから新しい化石を購入した際[35]、それは地元の小学生がもたらしたものだと聞くと、その小学生ジャール・トゥルブランシュに会いに小学校に赴いた。そして、トゥルブランシュの道案内で、クロムドライの化石出土地域にたどり着いたのである[36]。ブルームはそこで追加発見された断片や、トゥルブランシュが持っていた断片もあわせて復元を行い、それが従来の化石人骨とは別種のものであると判断し、「パラントロプス・ロブストゥス」と命名した[37]。ただし、現在ではアウストラロピテクス・ロブストゥスと分類する論者もいる[38]。いずれにせよ、この種が見つかったのはクロムドライが初めてである[39]

パラントロプス・ロブストゥスはいわゆる「頑丈型」の猿人で、これらの南アフリカの遺跡群の調査・発見を踏まえて、猿人には頑丈型とアウストラロピテクス・アフリカヌスなどの「華奢型」の2種が存在したことが、1950年代までには明らかになっていた[40]
周辺地域

1999年の世界遺産登録で「周辺地域」として登録対象となったのは、ドリモレン(英語版)、ゴンドリン(英語版)、グラディスヴェール(英語版)などである[41]。前二者では1990年代になってパラントロプス・ロブストゥスが相次いで発見された[15]。ドリモレンでは1992年の発見以来、すでに100個体分のパラントロプス属の化石が出土しており、その中にはほぼ完全なメス頭蓋などが含まれている[42]。また、ヒト属の化石も見つかってはいるが、数はかなり少ない。そのため、180万年前から150万年前と推測されるその時期、東アフリカではヒト属が優勢になっていたのに対し、南アフリカで優勢だったのはパラントロプス属の方だったのだろうと考えられている[43]マラパで化石を手にするマシュー・バーガー

グラディスヴェールはスタルクフォンテインから8 km ほどの場所にある遺跡で、1948年には探索が行われていたが[44]、化石人骨の出土は1992年になってのことだった[45]。この地で調査に当たっていた古人類学者リー・バーガー(英語版)は、アウストラロピテクス・アフリカヌスの断片を見つけるにとどまっていたという[46]。しかし、バーガーは2008年8月にヨハネスブルグからグラディスヴェールに向かう大きな道を数 km 手前で脇に逸れ、グーグル・アースで見当をつけていた近隣の石灰石採掘場跡に赴いた。その場所で彼は9歳の息子マシューとともに、新種の猿人化石を発見した[47]。新種はメスの成体とオスの少年が近接して発見され、親子などの可能性も指摘されている[48]。後にバーガーが「マラパ」(ソト語で「屋敷」の意味[46])と命名したその遺跡のある一帯も、世界遺産登録範囲内である[49]

バーガーたちがまとめた調査結果は、『サイエンス』2010年4月8日号に掲載された[49]。バーガーは新種の化石を「アウストラロピテクス・セディバ」(セディバはソト語で「水源」[50])と命名し、現生人類につながるホモ属の先祖だった可能性があると位置づけた。従来の有力説は、ホモ属の先祖が東アフリカのアウストラロピテクス・アファレンシスの系統に連なり、南アフリカで出土するアウストラロピテクス・アフリカヌスやパラントロプス・ロブストゥスは現生人類からみれば A. アファレンシスから派生した傍系であろうと見なすものであっただけに[51]、バーガーらの主張には、古人類学者の間でも賛否両論がある。ドナルド・ジョハンソンのように好意的な論者がいる一方で、ティム・ホワイト(英語版)のように強く否定的な論者もおり[52]諏訪元は、新種が見つかるたびに、人類の系統図が大きく書き換えられると囃し立てるような論調が出ることの不適切さを指摘し、そこまで大きな差異ではないと見なしている[53][注釈 6]
マカパン渓谷

マカパン渓谷 (Makapan Valley ; ID 915-002) は、リンポポ州ポトギーテルスルス(英語版) 近郊に位置し、登録範囲は2220.049561 ha、緩衝地域は55000 haである[17]。2005年に拡大登録された。マカパンスガット(英語版)、バッファロー洞窟 (Buffalo Cave)、ペッパーコーン洞窟 (Peppercorn's Cave) などの洞窟群が対象である[54]

このうち特に重要なのがマカパンスガットである。洞穴の名前は19世紀に先住民たちがボーア人と戦った際に、そこに立てこもった3000人の先住民を率いていた指導者マカパンに由来している[55]。この洞窟は、タウング・チャイルドが酷評されて一時、古人類学研究から離れていたレイモンド・ダートが、1947年に発掘調査を再開した場所であり、彼はこの地で発見した化石人骨に「アウストラロピテクス・プロメテウス」という名をつけた[56]。彼は火の使用の痕跡を見出したと考えてその名を与えたのだが、現在ではアウストラロピテクス・アフリカヌスにすぎないものを、マンガンの付着などのせいで誤認したものとされている[56]

また、ダートはマカパンスガットに散乱していた獣骨の断片を元に、アウストラロピテクスが動物の骨を棍棒やナイフにして使っていた「骨歯角文化」が存在していたと主張し、アメリカ人ジャーナリストロバート・アードレイ(英語版)のベストセラー[注釈 7]によって広められた[57]。この仮説では、アウストラロピテクス同士で暴力を振るいあっていたという野蛮なイメージが広められたが[58]、現在ではマカパンスガットでヒトや獣の骨が断片的にしか出土しないのは、ハイエナが持ち込んだ餌食の残りが散らかっていたり、ヒョウが樹上に持ち上げた餌食の一部が穴に落下したりしたためだと考えられている[59]


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