南アフリカの人類化石遺跡群
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

これはのちに、ロビンソンによってホモ・エレクトゥスと同定しなおされ[28]、実際、それかホモ・ハビリスと同一視されているが、ヒト属がアウストラロピテクス属と同じ時代に生存していたことが確認された最初の例であった[12]。なお、スワルトクランスの化石は断片的なものばかりで、首から下の骨の出土例はまれである[29]。これに関する研究は、ダートの「骨歯角文化」説(後述)の否定材料のひとつになった[29]

1951年にブルームが没し、ロビンソンもその出土品群の整理に終われるようになると、スワルトクランスの発掘作業は中断された[30]。1966年に発掘作業を再開したチャールズ・ブレイン(英語版)は、いくつかの重要な業績を上げた。ひとつめは、スワルトクランスの成り立ちを復元し、5層に分類した地層のおおよその年代を特定したことである。彼によれば、スワルトクランス第1層はおよそ180万年前から150万年前、第2層と第3層はおよそ150万年前から100万年前で、第4層と第5層はそれよりも新しい[31]。かなり幅のある推定になるのは、南アフリカの化石出土地帯が石灰岩で、保存状態の良好な化石も出る反面、鍾乳洞の天井崩落やそこに落ち込んだ堆積物の重なりなどが非常に複雑な地層を形成していることが一因である。また、火山が近くにないため、東アフリカの化石出土地帯で一般的な、火山灰をアルゴン - アルゴン法にかけるという信頼性の高い手法も使えない分、狭く絞り込んだ年代推定が難しいのである[31]

ブレインのもうひとつの業績は、第1層・第2層と違い、第3層には火の使用痕があることを突き止めた点である。彼は第3層から出土する獣の骨に、野火で焼けた場合と異なる例が270点あることを認識し、さらにそれらが、人の手を介さずに死んだ骨だとしたら不自然な形で分布していることを根拠に挙げた[32]。第3層からはヒト属の骨は出土していないが、それより下層でヒト属の出土例があることから、火の管理をしたのはヒト属だったと推測されている[33]。これは、ヒトによる火の使用が確実視できる最古の例である[33]

なお、スワルトクランスではシロアリを食べるときなどに使ったのではないかと考えられている尖った先端を持つ骨角器も見つかっている。これは、後述するドリモレンでも出土した[34]
クロムドライクロムドライ(2007年)

クロムドライ(英語版)はスタルクフォンテインから東北東に1.6kmの位置にある[25]。クロムドライは鍾乳洞としても有名である。

この遺跡の存在は、1938年に知られるようになった[35]。ブルームが前述の現場監督バーローから新しい化石を購入した際[35]、それは地元の小学生がもたらしたものだと聞くと、その小学生ジャール・トゥルブランシュに会いに小学校に赴いた。そして、トゥルブランシュの道案内で、クロムドライの化石出土地域にたどり着いたのである[36]。ブルームはそこで追加発見された断片や、トゥルブランシュが持っていた断片もあわせて復元を行い、それが従来の化石人骨とは別種のものであると判断し、「パラントロプス・ロブストゥス」と命名した[37]。ただし、現在ではアウストラロピテクス・ロブストゥスと分類する論者もいる[38]。いずれにせよ、この種が見つかったのはクロムドライが初めてである[39]

パラントロプス・ロブストゥスはいわゆる「頑丈型」の猿人で、これらの南アフリカの遺跡群の調査・発見を踏まえて、猿人には頑丈型とアウストラロピテクス・アフリカヌスなどの「華奢型」の2種が存在したことが、1950年代までには明らかになっていた[40]
周辺地域

1999年の世界遺産登録で「周辺地域」として登録対象となったのは、ドリモレン(英語版)、ゴンドリン(英語版)、グラディスヴェール(英語版)などである[41]。前二者では1990年代になってパラントロプス・ロブストゥスが相次いで発見された[15]。ドリモレンでは1992年の発見以来、すでに100個体分のパラントロプス属の化石が出土しており、その中にはほぼ完全なメス頭蓋などが含まれている[42]。また、ヒト属の化石も見つかってはいるが、数はかなり少ない。そのため、180万年前から150万年前と推測されるその時期、東アフリカではヒト属が優勢になっていたのに対し、南アフリカで優勢だったのはパラントロプス属の方だったのだろうと考えられている[43]マラパで化石を手にするマシュー・バーガー

グラディスヴェールはスタルクフォンテインから8 km ほどの場所にある遺跡で、1948年には探索が行われていたが[44]、化石人骨の出土は1992年になってのことだった[45]。この地で調査に当たっていた古人類学者リー・バーガー(英語版)は、アウストラロピテクス・アフリカヌスの断片を見つけるにとどまっていたという[46]。しかし、バーガーは2008年8月にヨハネスブルグからグラディスヴェールに向かう大きな道を数 km 手前で脇に逸れ、グーグル・アースで見当をつけていた近隣の石灰石採掘場跡に赴いた。その場所で彼は9歳の息子マシューとともに、新種の猿人化石を発見した[47]。新種はメスの成体とオスの少年が近接して発見され、親子などの可能性も指摘されている[48]。後にバーガーが「マラパ」(ソト語で「屋敷」の意味[46])と命名したその遺跡のある一帯も、世界遺産登録範囲内である[49]

バーガーたちがまとめた調査結果は、『サイエンス』2010年4月8日号に掲載された[49]。バーガーは新種の化石を「アウストラロピテクス・セディバ」(セディバはソト語で「水源」[50])と命名し、現生人類につながるホモ属の先祖だった可能性があると位置づけた。従来の有力説は、ホモ属の先祖が東アフリカのアウストラロピテクス・アファレンシスの系統に連なり、南アフリカで出土するアウストラロピテクス・アフリカヌスやパラントロプス・ロブストゥスは現生人類からみれば A. アファレンシスから派生した傍系であろうと見なすものであっただけに[51]、バーガーらの主張には、古人類学者の間でも賛否両論がある。ドナルド・ジョハンソンのように好意的な論者がいる一方で、ティム・ホワイト(英語版)のように強く否定的な論者もおり[52]諏訪元は、新種が見つかるたびに、人類の系統図が大きく書き換えられると囃し立てるような論調が出ることの不適切さを指摘し、そこまで大きな差異ではないと見なしている[53][注釈 6]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:91 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef