半導体
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1821年にトーマス・ゼーベックは半導体の特性の一つである熱電変換効果を発見した。

1839年にマイケル・ファラデー硫化銀を加熱すると導電性が増し、冷やすと伝導性が低下する現象を発見した。

1839年にアレクサンドル・エドモン・ベクレルは薄い塩化銀で覆われた白金の電極を電解液に浸したものに光を照射時に電流が生じる光電効果を発見した。

1873年にウィロビー・スミスは光を照射するとセレンの電気抵抗が低下する事を発見した。

1874年にフェルディナント・ブラウンは硫化金属の伝導性と整流作用を観測したが、この効果は1835年に既にピエテル・サミュエル・ムンクがAnnalen der Physik und Chemieに記述しており、アーサー・シュスターは電線の表面の酸化銅の被膜に整流作用があることを発見していた。

1876年にウィリアム・グリルス・アダムスとリチャード・エヴァンス・デイはセレンの光電効果を観測した。

これらの事象を説明するためには20世紀前半の固体物理学の理論の構築を必要とした。

1878年にエドウィン・ホールは磁場のない時には等電位の部分が、磁場を印加すると電位差(ホール電圧)を生じるホール効果を発見した。

半導体を使用した素子は当初は理論が確立する前だったので手探りで製造された。

1880年にアレクサンダー・グラハム・ベルセレンの感光特性を光線電話に使用した。

1883年に低効率で作動する太陽電池はチャールズ・フリッツによってセレンを塗布して金メッキを施した金属板を使用して製造された。これは1930年代以降、露出計として1970年代まで市販された。

1897年にジョゼフ・ジョン・トムソンによって電子が発見された。

1904年に硫化鉛製の高周波の点接触検波器の整流素子はジャガディッシュ・チャンドラ・ボースによって天然の方鉛鉱を使用した鉱石検波器として製造された。これは初期の鉱石ラジオに使用されて普及した。しかし、当時は作動の原理が不明で改良の方法も不明だった。

1906年にH.J. Roundは炭化珪素の結晶に電流を印加すると発光する現象を観測した。これは発光ダイオードの原型だった。

1922年にオレク・ロシェフも類似の現象を観測したが、当時はこの効果を実用化することができなかった。酸化銅セレンを使用した電力整流器は1920年代に開発され、真空管整流器が普及するまで商業的に重要だった。

1922年にオレク・ロシェフは2接点式の負性抵抗増幅器を無線のために開発したが、彼は1942年にレニングラード包囲戦により38歳で餓死した。

第二次世界大戦前に赤外線の検出と光無線通信を目的とした素子が硫化鉛とセレン化鉛の材料で研究された。これらの素子は船舶航空機熱紋の捕捉と音声通話のために使用された。

およそ4000 MHz以上の周波数帯域では当時入手可能だった真空管では機能しなかったので点接触鉱石検波器マイクロ波帯域を使用するレーダーの受信装置で使用された。戦争中には検波器を開発するために適した高純度のシリコン材料を製造するための研究開発が進められた。

検波器と電力整流器には信号の増幅は不可能だった。半導体増幅器の開発に多くの労力が費やされたが半導体材料への理論的な限界により失敗した。

1926年にユリウス・エドガー・リリエンフェルトは近代的な電界効果トランジスタの特許を取得したが、当時は実現しなかった。

1930年代には理論的には半導体による増幅器の出現はある程度予想されていたものの、実験の結果は芳しくなかった。これは当時の半導体の純度が低かったためで、半導体増幅器を実現するためには1950年代のゾーンメルト法の開発を待たなければならなかった。

1935年にO.Heilは半導体抵抗を面電極によって制御するMOSFETに類似の素子の特許を出願した。半導体(Te2、I2、Co2O3、V2O5 等)の両端に電極を取付け、その半導体上面に制御用電極を半導体ときわめて接近するが互いに接触しないように配置してこの電位を変化して半導体の抵抗を変化させることにより、増幅された信号を外部回路に取り出す素子だった。R. HilschとR. W. Pohlは1938年にKBr結晶とPt電極で形成した整流器のKBr結晶内に格子電極を埋め込んだ真空管の制御電極の構造を使用した素子構造で、このデバイスで初めて制御電極(格子電極として結晶内に埋め込んだ電極)に流した電流0.02 mA に対して陽極電流の変化0.4 mAの増幅を確認している。このデバイスは電子流の他にイオン電流の寄与もあって、素子の遮断周波数が1 Hz程度で実用上は低すぎた。

1938年にベル研究所ウィリアム・ショックレーとA. Holdenは半導体増幅器の開発に着手した。

1941年頃に最初のシリコン内のpn接合はRussell Ohlによって発見された。

1947年11月17日から1947年12月23日にかけてベル研究所ゲルマニウムトランジスタの実験を試み、1947年12月16日に増幅作用が確認された。増幅作用の発見から1週間後の1947年12月23日がベル研究所の公式発明日となる。特許出願は、1948年2月26日にウェスタン・エレクトリック社によってジョン・バーディーンウォルター・ブラッテンの名前で出願された。同年6月30日に新聞で発表された。この素子の名称はTransfer Resistorの略称で、社内で公募され、キャリアの注入でエミッターからコレクターへ電荷が移動する電流駆動型デバイスが入力と出力の間の転送する抵抗であることから、J.R.Pierseが「trans-sistor」としたことに由来す。

第二次世界大戦中にレーダーの開発に従事したドイツ人技術者のヘルベルト・マタレ(英語版)とHeinrich Welker達が戦後にフランスウェスティングハウスの子会社に勤務して半導体の機能の研究を進めており、ゲルマニウム上で点接触の電極間での増幅作用を観測していた。ベル研究所が"トランジスタ"を発表後、まもなくMatareのグループは彼らの"Transistron"増幅器を発表した。

1948年6月26日にウィリアム・ショックレーバイポーラトランジスタの特許を出願した。

日本国内ではトランジスタの開発のニュースが1948年中頃に伝わり、1948年10月には東北大学の渡辺寧、東京大学の久保、電気試験所東芝日本電気日立などの研究者によるトランジスタ勉強会がスタートした。この勉強会は1949年4月には日本電子機械工業会の文部省研究費によるトランジスタ研究連絡会に発展した。1948年11月には日本電気小林正次によって無線と実験誌に日本で最初のトランジスタに関する解説記事が掲載された。続いて日本物理学会誌の1949年7 - 8月号に東京大学の山下次郎、澁谷元一による解説論文が発表された。この時点では、バイポーラトランジスタの動作原理は日米ともにまだ完全には理解されていなかった。

1950年4月3日には東京工業大学で開催された日本物理学会分科会で、トランジスタに関する日本で最初のシンポジウムが開催され、電気試験所から分割された逓信省電気通信研究所の岩瀬、浅川は、高純度ゲルマニウム単結晶を使用した点接触型トランジスタの試作、動作確認に日本で初めて成功した。

1952年5月7日に集積回路の原型はイギリスのレーダー科学者ジェフリー・ダマーによって概念が発表されたものの、当時は製造技術が未熟で実現には至らなかった。その後、テキサス・インスツルメンツジャック・キルビーによって「Miniaturized electronic circuits」は1959年2月に出願され、1964年6月にアメリカ合衆国特許第 3,138,743号が登録された。フェアチャイルドセミコンダクターロバート・ノイスの考案した「Semiconductor device-and-lead structure」は1959年7月に出願され、1961年4月にアメリカ合衆国特許第 2,981,877号が登録された。


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