千駄ヶ谷村
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千駄ヶ谷村[1]および原宿村[2]、穏田村が合併し、南豊島郡千駄ヶ谷村が発足
1896年(明治29年)4月1日 - 南豊島郡は東多摩郡と合併、豊多摩郡となる
1907年(明治40年)4月1日 - 町制施行により千駄ヶ谷町となる
1932年(昭和7年)10月1日 - 東京市に編入され消滅、千駄ヶ谷町及び渋谷町・代々幡町の区域をもって渋谷区となる
人口
1920年 36,374
1925年 39,997
1930年 40,900
地域
大字千駄ヶ谷
大字原宿
大字穏田
交通
鉄道
鉄道省
中央本線
代々木駅
千駄ケ谷駅
山手線
代々木駅
原宿駅
教育機関
千駄ヶ谷町青年訓練所
千駄ヶ谷尋常高等小学校
千駄ヶ谷第二尋常小学校 - 1941年から仰徳国民学校と改称。1945年5月24日、東京大空襲で校舎全焼。戦後の1946年3月、鳩森小学校に統合された[3]。
千駄ヶ谷第三尋常小学校
穏原尋常小学校
千駄ヶ谷第五尋常小学校
第一早蕨幼稚園
原宿幼稚園
東京市民幼稚園
出身・ゆかりのある人物「千駄ヶ谷#主な出身人物・ゆかりある人物」、「原宿#居住その他ゆかりある人物」、および「穏田#歴史上の居住者」を参照
岡村輝彦 - 弁護士、中央大学学長。1910年(明治43年)に千駄ヶ谷町大字穏田字源氏山173番地に居住
倉敷福太郎 - 学習院教授[4]。住所が千駄ヶ谷町[4]
山本五十六 - 軍人、聯合艦隊司令長官。千駄ヶ谷町居住
山本義正 - 著述家、山本五十六の長子。千駄ヶ谷町生まれ
戸塚道太郎 - 軍人、横須賀鎮守府司令長官。千駄ヶ谷村生まれ
辻新次 - 官僚、初代文部次官。千駄ヶ谷町で死去
天璋院(篤姫) - 元第13代将軍徳川家定御台所。千駄ヶ谷村の徳川宗家屋敷で死去
徳川家達 - 徳川宗家16代目。千駄ヶ谷村以来から居住
徳川家正 - 同17代目。千駄ヶ谷村生まれ
徳川達孝 - 田安徳川家第9代当主、家達の弟。家達邸宅に居住
与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻 - 歌人。麹町、渋谷道玄坂と経て1904年(明治37年) - 1909年(明治42年)1月の間、文芸誌『明星』を発行した与謝野夫妻の「新詩社」が千駄ヶ谷村(その間、千駄ヶ谷町に)にあった。そこは明治書院の貸家で、また居住した。後に神田区駿河台東紅梅町へ移転。
北原白秋 - 詩人、作家。1910年(明治43年)9月に牛込区新小川町から、与謝野夫妻の新詩社と縁がある千駄ヶ谷町の大字原宿(現在の神宮前)に転居。隣家松下俊子と親しくなり、のちに姦通罪で告訴される。
千田是也 - 演出家、俳優、俳優座結成者の一人。芸名が千駄ヶ谷に由来
関根潤三 - プロ野球選手
脚注[脚注の使い方]^ この際、千駄ヶ谷村のうち1879年(明治12年)に四谷区から編入された地域の一部(字西信濃町・火薬庫前・霞岳・川向・甲賀町・大番町・池尻)は再び四谷区に戻った。(現・新宿区霞ヶ丘町全域、信濃町の西側、大京町の南側)
^ 飛地の字五反田は赤坂区と麻布区に編入された。(現・港区北青山五丁目、西麻布一-二丁目、六本木七丁目)
^ 仰徳国民学校(千駄ヶ谷第二尋常小学校)跡 渋谷区教育委員会
^ a b 『人事興信録 第6版』く43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月16日閲覧。
参考文献
人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
関連書籍
東京市臨時市域擴張部 『豊多摩郡千駄ヶ谷町現状調査』 1931年
関連項目
東京都の廃止市町村一覧
淀橋町四谷区
代々幡町赤坂区
千駄ヶ谷町
渋谷町
表
話
編
歴
東京府の自治体(1893年(明治26年))
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日本橋区
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麻布区
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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