テレビ映画では『キイハンター』以降、『ザ・ボディガード』(1974年)、『ザ★ゴリラ7』『燃える捜査網』(1975年)『大非常線』(1976年)とアクション作品に主演。この頃、カリフォルニア州に聳えるマンモスマウンテンのバックカントリーをスキーで滑走しており、その姿は1974年5月6日にドキュメンタリー『千葉真一 4,000メートルのマンモスマウンテンを滑る』(東京12ch)や6月6日の『ザ・ボディガード』第10話「グランドキャニオンの殺人者」で、それぞれ放送されている[注釈 9]。前後して若手の育成に追われる日々となったが、1976年の『沖縄やくざ戦争』では京都市民映画祭の主演男優賞を受賞した。
1977年4月にハワイ州で開催された「日本代表極真会館チーム対ハワイ代表チーム」というフルコンタクト空手の対抗戦に参戦[26][93][94][95]。180センチメートル以上あるネグロイドのアメリカ東海岸空手チャンピオンと戦い、二段蹴りでKO勝ちを収めた[95][96][97][98][99]。(⇒ #2022年・#極真カラテ・#空手道) 名実共に日本を代表するアクションスターとして活躍していたが[26][33][78][79]、1978年から本格的に時代劇へ進出。主演した『柳生一族の陰謀』は興行収入30億円以上の記録的な大ヒットをした[100][101][102][103]。1979年に第2回日本アカデミー賞の優秀助演男優賞を受賞。柳生但馬守宗矩(若山富三郎)・宮本武蔵(緒形拳)と華麗で凄みのある一騎討ちを披露した主演作『魔界転生』(1981年)は観客動員数200万人・配給収入10.5億円を超し[104][105]、『赤穂城断絶』(1978年)、『闇の狩人』(1979年)、『里見八犬伝』(1983年)、『必殺4 恨みはらします』(1987年)などにも出演している。
ジャンルを越えた活躍