1969年、オールスターキャストで製作された『日本暗殺秘録』では、小沼正に扮して主演した。『キイハンター』を休んで撮影に臨み、小沼が悩み苦しみ葛藤から、怒りへ覚醒していく情念を、アクションスターという枠に収まらない、印象深い演技をしている[45][67]。同年の京都市民映画祭では、主演男優賞を受賞[68]。『キイハンター』で人気者になるだけではなく、「様々な作品に出演していかなくてはいけない」と考え直す転機にもなっている[68]。(⇒ #キイハンター)
1970年、日本の映画・テレビ映画のアクションシーンを向上するには、自分と同レベルで動ける俳優・スタントマンの育成が急務を要すると痛感し[69][70]、法人としてジャパンアクションクラブ (JAC) を創設した[11][16][26][23][34]。(⇒ #ジャパンアクションクラブ (JAC)・#演劇)
1973年の『仁義なき戦い 広島死闘篇』では主役に選ばれていたものの、北大路欣也の要求を受け入れた東映の意向でクランクイン直前、大友勝利役に代えられたが、凶暴・凶悪なキャラクターを演じ、『仁義なき戦いシリーズ』の中で、主人公をしのぐほどの強烈な印象を残す[45][65]。大友はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり[45][65][71][72]、これ以降、他のヤクザ映画でも「『仁義なき戦い』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている[73]。(⇒ #ヤクザ映画)
『広島死闘篇』と同時進行で『柔道一代シリーズ』以来、10年ぶりの格闘技をモチーフとした『ボディガード牙シリーズ』の撮影に入り、『殺人拳シリーズ』と次々主演作がクランクインしたため、『仁義なき戦いシリーズ』の再出演は実現しなかった[74]。これ以降は格闘をメインとした作品に続けざま主演していくが、極真カラテを修行して黒帯を允許された技量が生かされることとなる[16][26][27][30]。(⇒ #空手道) 『ボディガード牙シリーズ[75]』(1973年)は日本だけにとどまらず、欧米でもヒットし、ブームになる先駆けの作品となった[29][30]。これを皮切りに、『殺人拳シリーズ[28]』(1974年 - 1976年)、『地獄拳シリーズ[28]』(1974年)、『少林寺拳法』(1975年)、『けんか空手シリーズ[76]』(1975年 - 1977年)、『激殺! 邪道拳』(1977年)と、前後して『やくざ刑事シリーズ[62]』(1970年 - 1971年)、『狼やくざシリーズ[75][77]』(1971年 - 1972年)、『麻薬売春Gメンシリーズ[75]』(1972年)や、小説『ウルフガイ 燃えろ狼男』(1975年)と劇画『ドーベルマン刑事』『ゴルゴ13 九竜の首[33]』(1977年)の映画化なども含め、数々の作品に主演。
Sonny Chiba