千葉真一
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海外ではマーシャルアーツの大スターである"Sonny Chibaの熱狂的な人気は根強[85][注釈 17]キアヌ・リーブス[29][89]クエンティン・タランティーノ[30]リュ・スンワン[91]、らの著名人の熱烈なファンがおり、谷川貞治は「千葉さんの映画のおかげで格闘技人口がかなり増え、格闘技界の宝だ[305]」と述べている。(⇒ #ファン(海外)

岡田茂は「(主人公と)牛との格闘を欧州ではびっくりして、えらく受けている[76]ショウ・ブラザーズが千葉真一の空手映画を購入してシンガポールでも大ヒット[306]東南アジア映画祭ジャカルタへ行ったときも、抜群の動員力と人気を上げていた[306]。千葉くんの空手が入って、東南アジア全域で当たり、すごい人気だ[307]。東洋でナンバーワンなんだから、あのアクションをやらせたら世界に(千葉真一以外)いないんじゃないかな[307]」と世界各地の人気・商況・反響を語っている。この頃フランシス・フォード・コッポラは「千葉真一とアル・パチーノの共演で映画を製作したい」と東映へオファーし[76]、千葉も「海外で勝負させてください」と岡田に懇望したが[308]、「まだその時期ではない」と認められなかった[34]。(⇒ #海外進出

けんか空手シリーズ』や『子連れ殺人拳』で千葉とタッグを組んだ山口和彦は「常に自分しかできないアクションを見せることに徹していた。熱心な男で現場でいろいろなアイデアを出してくる。全てのアイデアを聞き入れることはできなかったが、自分がアクション映画を変えるんだという、その意気込みは凄かった。そうやって彼は自分の代わりが居ないところまで到達したからね。千葉真一というアクションスターは永遠に残っていくよ」と評している[309]。(⇒ #Sonny Chiba#空手道)詳細は「激突! 殺人拳」を参照詳細は「殺人拳シリーズ」を参照詳細は「けんか空手シリーズ」を参照
人間ドラマ

アクションスターとして大画面をいっぱいに暴れまわっていた同時期、アクション・格闘・スタントを主としない対照的な作品に主演をし、静の演技を見せ、主戦場のアクション映画・アクションドラマで魅せる姿とは対照的であった[118][119]

1976年のドラマ『七色とんがらし』を皮切りに、1978年には鎌田敏夫脚本の『十字路』に主演し、不器用ながら朴訥な男を演じていた[118][119]

インタビュー番組を視聴した山田太一は、(千葉真一に)だけでない一面を感じ取り、主演ドラマを書き下ろしたのが、1986年の『深夜にようこそ』である[119]。サラリーマンの悲哀を感じさせる中年を丁寧に演じ、長ゼリフを淡々と、しかし静かに感情を込めながら、発していた[119]。その3年後にも山田とタッグを組み、主演したのが『夢に見た日々』で、挫折を引きずり続ける男に扮し、真実味を与えていた[119]

いずれもキャリアを積んだ千葉真一の役者としての成熟を感じさせる人間ドラマである[119]。(⇒ #ジャンルを越えた活躍
時代劇

1978年から本格的に時代劇へ進出するが、1963年の『八州遊侠伝 男の盃』以来であった。木刀殺陣の練習を1日8時間行い臨み、主演映画柳生一族の陰謀』では20mからへ飛び込むスタントをした。この作品は千葉が『裏柳生』というタイトルで深作欣二へ提出した企画がベースになっている[73][310][311][312][313]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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