千葉真一
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風来坊探偵シリーズ』を監督した深作欣二は、文芸ものよりもアクション作品を好み、「肉体こそ俳優の言葉」が口ぐせだったので、千葉真一自身も座右の銘にしている[注釈 12]ニュー東映のホープとして主演した『ファンキーハットの快男児シリーズ』では[264]カーチェイス、左右に開脚して2人の敵を同時に倒す跳び蹴り[26]、器械体操で培った筋骨隆々な肉体美を[265]大車輪で披露している。こののち千葉と深作は23の作品でコンビを組み、ヒットを連発していく[34]。(⇒ #アクションスター#キイハンター

宣伝担当の福永邦昭は「器械体操で鍛え上げた肉体と抜群の運動神経で、新しいアクション俳優の誕生と騒がれたが、東映が彼を生かしきれなかった[62]」と振り返っており、高倉健から「アクションスターは、アクションしかできないという決めつけがあるから、その印象を世間に持たれないほうがいい」と忠告されたので、ドンパチの活劇だけでなく青春ものをやりたいなとも思っていた[266]。それでも東映は映画・テレビとジャンルを問わず、アクションスターであることを千葉へ常に求めていくこととなる[32]。3, 4年ほど悩んだ末、やる以上、誰にも負けない完全にアクションのできる役者に成ろうと決意した[267]。(⇒ #格闘作品

1966年の『カミカゼ野郎 真昼の決斗』は中華民国ロケーション撮影され、離陸する軽飛行機の翼に飛びつき乗り込むスタントをした[26][268]。疾走する自動車を追いかけアンテナに飛びつくスタントでは、後輪の跳ねた石が脛に突き刺さり、台湾で一週間入院する代償を払っている[269]。傷だらけになりながらもスタントを演じきったが[268]、『柔道一代 講道館の鬼』(1964年)に続いてケガしたため、父親を受取人にして傷害保険生命保険を契約[269]。1970年の『やくざ刑事シリーズ』では、クランクイン前に約1億円の保険に加入した[270]。同シリーズは後の作品にも影響を与えており、1999年の『マトリックス』でキアヌ・リーブス扮する主人公が片手側転しながらマシンガンを連射するシーンは、第一作の『やくざ刑事』で千葉が右手で拳銃を撃ちながら、片手で側転するスタントが原型となっている[271]。(⇒ #キイハンター#格闘作品#ファン

芸能生活20周年記念作品である『戦国自衛隊』(1979年)で[114]、主演と日本映画初のアクション監督を兼務した[17]時速100キロメートルで飛ぶヘリコプターロープ1本でぶら下がり、乗馬では同年の『闇の狩人』に続き、地面にあるを左右に傾き、拾い上げるスタントを演じたほか、ヘリコプターから宙吊りになるシーンは自前のハイスピードカメラを足に括りつけて撮影し[32]、騎手の目線を写すためにカメラを取り付けたヘルメットを被り乗馬するなど[272][注釈 13]、アクション監督として撮影を自ら行っており、これらの敢行はスタッフをとても心配させた[32]の脇腹に隠れての乗馬は、『柳生一族の陰謀』第27話「美女と野獣」で千葉が、既に演じていたものをジャパンアクションクラブ (JAC) のメンバーに再現させ、『戦略大作戦』を意識して演出をしている[28]、1980年にブルーリボン賞のスタッフ賞を受賞した。(⇒ #ジャンルを越えた活躍#2022年)詳細は「戦国自衛隊」を参照

東映から「好きな映画を作っていい」と許可され、企画した1981年の主演作『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』は、フランス映画冒険者たち』をオマージュした作品で、空手・拳法の達人や剣豪・忍者とは異なるしがない大学職員に扮して活劇を演じた[116]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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