日本の関東地方南東側、東京都の東側に位置し、県域は東海道筋に古くから栄えた律令制以来の房総三国である上総国(南総)・安房国(房州)の全土と、下総国(北総)の一部から成り立っている。県の大部分を房総半島が占める。
中心業務地区の幕張新都心、アジア地域有数の国際見本市会場である幕張メッセ、国際線旅客数・就航都市数・貿易額で日本一の成田国際空港、日本三大港湾である東京港湾の一角を担う千葉港、水揚げ量日本一で日本三大漁港の銚子漁港、集客施設来場者数日本一の東京ディズニーリゾート(TDL)、日本で唯一国際標準模式層断面及び地点に認定され、チバニアン(千葉時代)として地質年代の名称になる証拠となった地層千葉セクション、東京大学・千葉大学(柏キャンパス)を中心とした公・民・学連携の柏の葉スマートシティ、日本一の数を有する海水浴場、自然豊かな南房総国定公園・水郷筑波国定公園などを筆頭とした観光・リゾート地、優れた社会基盤、豊かな地域資源、バランスの取れた産業構造を核としている[3]。臨海部には市原市などを中核に京葉工業地域が広がっている。成田国際空港がある影響で訪日旅客数は全国第3位[4]。
県の人口は6,284,480人[5]、面積は5,156.74平方キロメートル(km2)[6]である。1920年(大正9年)10月1日、国勢調査での県の人口は約100万人であった。その後増加を続け、1983年10月1日には500万人を超え、2002年9月17日に600万人を突破した。以降、人口は増加傾向である[7][注釈 2]。東葛飾地域や千葉市といった東京から地理的に近い県北西部に県内の人口が偏重している。また、これらの地域は鉄道交通の利便性が高いため東京都区部(23区)に通勤通学する居住者が多く、東京のベッドタウン・衛星都市となっている(「千葉都民」も参照)。そのため、県内の昼夜間人口比率は100を大きく下回り、90前後である[8]。
県内の市町村数は54市町村 (37市16町1村)、県内の政令指定都市は千葉市、中核市は船橋市・柏市、業務核都市は千葉市・柏市・成田市・木更津市・印西市である。船橋市、柏市、千葉市を中心に商業が発展している。 1873年(明治6年)6月15日に、北西部の印旛県と南部の木更津県が合併し、旧両県の境で千葉氏の本拠地でもあった現在の千葉市中央区(亥鼻城址周辺)に県庁が設置され、現在の千葉県が成立した。6月15日が県民の日と定められた所以である。1875年(明治8年)5月7日 には新治県が廃止分割され、利根川以南の下総国に属する香取郡・海上郡・匝瑳郡が千葉県に編入された。 県内には100万規模の人口を有する政令指定都市の千葉市を筆頭に、中核市最大の人口約64万人を有する船橋市、50万都市の市川市・松戸市、40万都市の中核市である柏市、30万近い都市の市原市、20万都市が流山市、八千代市と中核市同等の人口を持つ自治体が多数存在することも特徴として挙げられる。千葉市は国家戦略特区・国際会議観光都市・都市再生特別地区・グローバルMICE都市[9]に指定されており、国際機関を始めとした国の業務中枢機能と住宅中心の土地利用計画を大幅に見直した幕張新都心を中心に、関東地方において独自の重要性を持つ世界に開かれた国際都市の役割を担う。 平地の割合が大きく、可住地面積が広いことからも古くから住宅地開発が進んでおり、県北西部の人口は稠密である。特に高度経済成長と都市部の過密化により、通勤五方面作戦にて複々線化を行った総武本線・常磐線や京成電鉄沿線に位置する都市は繁華街も多く、大規模商圏による拠点性・集積性のある駅周辺の人口増加が著しい傾向にある[10]。近年では都市再開発が進み、全国813市区中財政力指数第1位の浦安市[11]や第4位の成田市[12]、全国住みよさ7年連続第1位の印西市[13]、全国共働き子育てしやすい街第1位の松戸市など[14]、財政・制度・施設が充実した都市も増えている。特に新通勤五方面作戦で提示された性格を継承して開業した京葉線沿線(新浦安、南船橋、幕張ベイタウンなど)や、つくばエクスプレス沿線(流山おおたかの森[15]、柏の葉キャンパスなど[16])のほか、北総鉄道北総線・新京成線沿線[17](新鎌ケ谷など)、東葉高速線沿線(八千代緑が丘、八千代中央など)、東京湾アクアラインにより利便性が向上した袖ケ浦市・木更津市(かずさアクアシティ[18])などでは、新興住宅地の開発が加速し、東京都心や成田国際空港・東京国際空港[19]へのアクセスの良さからも、大規模なマンションや住宅街が林立し、商業施設の充実、整備された公共施設、自然豊富な住環境が整っている[20]。
概史