千年女優
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予算は当初、1億3千万円で、最終的には1億数千万円という日本の劇場アニメーション作品としては最低ランクの制作費で作られた[14]

北米でもドリームワークス系のゴー・フィッシュ・ピクチャーズの配給で2003年9月12日に公開され、劇場数は6スクリーン、興行収入は3万7641ドルだった[15]。公開規模は決して大きくないが、日本の劇場アニメの米国公開がまだ難しい時代であり、今の才能を知らしめるのには大きな役割を果たした[15]。劇場公開のメリットは興行収入だけでなく、批評家が鑑賞して一般新聞や雑誌・サイトに批評やレビューが掲載されることにもあり、そのことで作品の認知度が上がり、アニメファン以外の層にも到達する[15]。その効果で海外での今敏の映画監督としての評価が確固たるものになり、アニメーションのアカデミー賞と呼ばれるアニー賞でも、最優秀長編アニメーション賞・監督賞・脚本賞・声優賞にノミネートされた[15]
作品のテーマ

「千年女優」は「前作『パーフェクトブルー』みたいな『だまし絵』のような映画を」というリクエスト(しかし、あくまで映画の手法ということであり、映画の中心的テーマというわけではない)が出発点で、両作品は今的にはいわばコインの裏表のような姉妹的な存在だという[12][16]。前作では人間のネガティブな面に、今作ではポジティブな面にそれぞれスポットを当てているが、どちらも「虚実を曖昧にする」という方法論は共通している[16]。今作は、前作で試みたその方法論を発展させるというところからスタートし、それを表現するにはどういう内容が相応しいかという形で考えられたものだからである[16]。前作では次第に虚構と現実の境界が曖昧になっていく様子が描かれたが、今作では虚構と現実が最初からシームレスに繋がり、登場人物が虚構と現実を自在に往還する姿が描かれた[7]。前作で主人公の不安な内面を表現するのに使った虚実混交という手法を、本作では楽しいイメージの冒険に使用し、前作と同質の「アニメならではの表現」でありながら、サイコホラーサスペンスではなく、トリッキーでユーモラスで茶目っ気たっぷりな娯楽方向に転じた[17][18]

前作では虚構と現実の混交によって主人公の内面の混乱や混沌を描き、それによって観客をも混乱させようとしたが、今作の場合は観客を混乱させるのではなく、観客に虚実の混淆そのものを楽しんでもらうことを意図している[12]。何が虚構で何が現実なのかの区別に意味が無くなるくらいに虚実を混交させ、いわば「ほら吹き男爵」ならぬ「ほら吹き婆さんの冒険」とでもいうようなイメージの冒険映画のようなものを目指して作られた[12]

ひとくちに「だまし絵」と言ってもさまざまなものがあるが、今がスタッフに一例として挙げたのは歌川国芳の「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」という浮世絵である。これは「寄せ絵」と呼ばれる種類のもので、一見ひとりの人物の顔に見えるが、よく見ると大勢の人が絡み合っているという趣向の作品であり、「顔でないものが寄り集まって顔になる」というこの絵の特徴を、「嘘が積み重なって真実が見えてくる」という本作のコンセプトになぞらえた[7]

『千年女優』は伝説の大女優のインタビューに訪れたスタッフが、その女優の過去と出演した映画が交差する虚構の世界で彼女の一代記を体験するという複雑な構成になっていて、現実と虚構が入り乱れたストーリーであると同時に、さまざまな名作映画へのオマージュが込められている[19]。主人公のイメージは原節子高峰秀子で、作中に登場する映画は、黒澤明の「蜘蛛巣城」風の時代劇小津安二郎の映画、「鞍馬天狗」の登場するチャンバラ物、「ゴジラ」のイメージを借用した怪獣もの、SFなど様々である[18][20]。今自身も、「この作品は日本映画へのオマージュでもあり、『初恋はいいよね』という話でもあり、『自分に素直に生きよう』というメッセージでもある。いろんな風に見てほしい」と語っている[18]。ただし、「『解は一つではない』――それが一番欲している作品のあり方」とも言っているので、観客独自の深読み、裏読みは監督も歓迎するところである[18]

この作品は基本的に同じエピソードの繰り返しであり、音楽で言えば「ボレロ」のような循環する話である[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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