千代田区
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第二次世界大戦時には統制で通常の書籍の出版がほとんど行われなくなり、丸の内などのオフィス街も統制機関や軍需機関などによって接収されるなどしたため、民間の活動はほぼ壊滅状態となったうえ、空襲で区内の民家の大半が焼失したことから、旧神田区が2万1,506人、旧麹町区が1万435人の合わせて3万1,941人まで人口が減少した[3]

一番町から六番町を総称して「番町」と呼ばれる千鳥ヶ淵に隣接する皇居の西側の地区は、セブン&アイホールディングスやそのグループ会社(セブンイレブンジャパンイトーヨーカ堂そごう・西武など)の本社や大使館などが立地しているオフィス街であると同時に、高級住宅街にもなっている[8]
人口

当地は先述の通り明治以降に官庁街とオフィス街、文教地区が形成されたことから、大正期にすでに夜間人口昼間人口の差が大きくなっていた[3]。この傾向は第二次世界大戦後に一段と加速し、昼間人口が約15倍から約20倍に上るといわれるようになった[3]

1980年代以降は住民の比較的多かった神田地区は、バブル景気も相まって不動産業者が用地買収を盛んに行って再開発し、高層ビルなどを建設したことから、一部で高層の住宅も併設されたものの人口が急速に減少し、この傾向がより強まっていった[9]

しかし、先述のような再開発や地価高騰にともなう大都市の中心市街地における人口減少が典型的に進んでおり[9]、夜間人口は約5万8000人で23区で最も少ないが、昼間人口は約15倍の約85万人にまで膨れ上がる。こうした夜間人口の少なさから、夜間人口を面積で割って算出される人口密度は、2015年10月1日現在でほかの22区がすべて10,000人/平方キロメートル (km2)を超える中、当区のみ約5,000人/km2と低くなっている(昼間人口で計算すれば、70,000人/km2を超える過密状態となる)。

2005年に夜間人口(居住者)は4万1683人であるが、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は85万3382人で、の約20.5倍の人口になる(東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行120,121頁。国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで26万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含めているが、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないため数字の間に齟齬が生じている)。
町名

千代田区では、一部の地域を除き住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。

千代田区は住居表示実施率が23区で最も低い。面積ベースの比率では新宿区よりも僅差で下回り、皇居部分の面積を除いて考えると23区で突出して実施率が低い。*住居表示未実施の町丁目:神田○○町(神田三崎町、神田猿楽町を除く)、○番町、麹町全丁目
町名のラテン文字表記

千代田区では、日本語の読み方と共にラテン文字表記に関しても正式なスペルを示している。

「町」の読みは、
?町大手町神田小川町神田司町の4町は「まち」、その他はすべて「ちょう」と読む。

神田紺屋町、神田東紺屋町の場合、「Kanda-kon'yacho」「Kanda-higashikon'yacho」のようにアポストロフィ (') で区切って表記する。アポストロフィで区切らない「konya」のままでは「こにゃ」と発音する為「kon'ya」と表記する必要がある。

神田神保町の場合、ローマ字表記の一つ「旧ヘボン式」に則り(「b」「p」「m」の前に限り「m」を使う)「Kanda-jimbocho」としている。

三番町、四番町の場合、ローマ字表記の一つ現在主流の「修正ヘボン式」を採用しており、そのまま「Sanbancho」「Yonbancho」と記載する。同様の使用例は中央区日本橋「Nihonbashi」どが正式なラテン文字表記として採用されている。

町名の漢字表記

千代田区の町名で注視する点が「?町」の正式な漢字表記である。「?町」が正式な漢字表記であり[10]、プレートや紙媒体などの印刷物・画像データなどの印字には「?町」という表記が多く見受けられる。しかし「?」は機種依存文字にあたるため、本記事も含め、電子データ上では簡易慣用字体である「麹」が使用される。東京地下鉄?町駅の漢字表記も町名に合わせたものである。
町名一覧
千代田区役所麹町出張所管内

千代田区役所麹町出張所管内(33町丁)町名町区域新設年月日住居表示実施年月日住居表示実施前の町名など備考
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丸の内(まるのうち)一丁目1970年1月1日1970年1月1日丸ノ内1?3(全)
丸の内二丁目1970年1月1日1970年1月1日丸ノ内1?3(全)
丸の内三丁目1970年1月1日1970年1月1日丸ノ内1?3(全)
大手町(おおてまち)一丁目1970年1月1日1970年1月1日大手町1・2(全)、竹平町
大手町二丁目1970年1月1日1970年1月1日大手町1・2(全)、竹平町
内幸町(うちさいわいちょう)一丁目1967年4月1日1967年4月1日内幸町1・2(全)
内幸町二丁目1967年4月1日1967年4月1日内幸町1・2(全)
有楽町(ゆうらくちょう)一丁目1975年1月1日1975年1月1日有楽町1・2
有楽町二丁目1975年1月1日1975年1月1日有楽町1・2
霞が関(かすみがせき)一丁目1967年4月1日1967年4月1日霞ヶ関1(全)、霞ヶ関2・3、三年町、永田町2
霞が関二丁目1967年4月1日1967年4月1日霞ヶ関1(全)、霞ヶ関2・3、三年町、永田町2
霞が関三丁目1967年4月1日1967年4月1日霞ヶ関1(全)、霞ヶ関2・3、三年町、永田町2
永田町(ながたちょう)一丁目1967年4月1日1967年4月1日永田町1(全)、永田町2、霞ヶ関2・3、三年町
永田町二丁目1967年4月1日1967年4月1日永田町1(全)、永田町2、霞ヶ関2・3、三年町
隼町(はやぶさちょう)1973年1月1日1973年1月1日隼町(全)
平河町(ひらかわちょう)一丁目1971年7月1日1971年7月1日平河町1・2


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