千と千尋の神隠し
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美術班も作画部門と同様新人スタッフが多かったため、武重はほぼすべてのカットの美術ボード[注 37]を描いた。しかも、用途別に各カットごと3枚の美術ボードを描くほど念入りだった[194]。『となりのトトロ』の美術監督であるベテランの男鹿和雄は、主に不思議の町に入り込む前の世界、冒頭とラストシーンの自然環境の背景を一任され[194]、該当場面のモデルとなった四方津駅周辺を独自に取材した[169]。湯屋の中の巨大な鬼の襖絵は吉田昇が担当した[194]

宮崎からは「どこか懐かしい風景」「目黒雅叙園のような擬洋風、古伊万里の大きな壺」などの指示があった[195]。色については「とにかく派手に」[196]「下品なほどの赤」[197]という指定があり、随所にちりばめられた赤色と湯屋内部の金色がキーカラーになっている[197]

2000年3月17日には、江戸東京たてもの園ロケハンが行われた[169]。江戸東京たてもの園は、企画当初から作品の舞台とされていた場所である。油屋のデザインについて、モデルとなった特定の温泉宿などは存在しない[198]。ただし、江戸東京たてもの園の子宝湯は宮崎お気に入りの建物で、特に千鳥破風の屋根に加えて玄関の上に唐破風(別の屋根の形式)を重ねる趣向、および内部の格天井に描かれた富士山のタイル絵などの「無駄な装飾性」に魅了されたという[152]。また、ジブリの社員旅行で訪れたことのある道後温泉本館も参考にされた[152]。油屋の内装は目黒雅叙園が原形になっており[199][注 38]、他に二条城の天井画、日光東照宮の壁面彫刻、広島の遊郭の赤い壁などが参考にされた[200]。釜爺の仕事場にあった薬草箱は江戸東京たてもの園の武居三省堂(文具屋)内部の引出しがモデルになっている[201]。油屋周辺の飲食店街は、新橋の烏森口や有楽町ガード下の歓楽街をイメージして描かれている[200][202]。従業員の部屋は、1950年代の劣悪な労働環境だった近江紡糸工場の女工たちの部屋や、多磨全生園隣接の国立ハンセン病資料館内に再現された雑居部屋がモデルとなっている[200]。湯婆婆の部屋は、和洋の混じった鹿鳴館や目黒雅叙園がモデルである[203]

台湾の台北近郊の町九?の一部商店主は宮崎駿が訪れスケッチをしたと主張しているが[204]、宮崎は台湾メディアのインタビューに対して九?を作品の参考にしたことはないと否定している[205]
CG・彩色・撮影


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