千と千尋の神隠し
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

そのような試みのひとつが「子供を生々しく描く」ということだった[182][注 36]。安藤が用意した千尋のキャラクター設定は、背中が曲がり、無駄の多い緩慢な動作に満ち、表情はぶうたれていて喜怒哀楽が不鮮明だった。これは従来宮崎が描いてきた少女像からかけ離れたもので、とりわけ、目の描き方が一線を画していた[184]。序盤の絵コンテは、千尋の不機嫌なキャラクター性を反映してゆっくりとした展開となった。しかしながら宮崎は、千尋がグズであるがゆえに先行きの見えてこない物語に苛立った。絵コンテでは、千尋が湯屋で働きはじめるまでの段階で、すでに40分が経っていた[169]。そこで、中盤以降は一気にスペクタルに満ちた展開に舵を切った。千尋も序盤とは打って変わってデフォルメされた豊かな表情を見せ、きびきびと行動するようになった。そこには、旧来通りの、宮崎らしい、理想化されたヒロインがいた。安藤はこの方向転換に「違和感と失望」[179]を抱いたが、それでもなお緻密な修正を続け[179]、作画監督の通常の仕事範囲を超えて動画段階でもチェックを行い、場合によっては動画枚数を足すなど[185]、身を削って作業を進めた。カットの増加・作画作業の遅延によって補助的に作画監督(賀川愛高坂希太郎)が増員されたが[179]、最終チェックはすべて安藤が担った[186]。結局は宮崎も、当初の予定に反して、レイアウト修正・原画修正を担うようになった[169]。宮崎の提示する演出意図と安藤の指示の食い違いに戸惑うスタッフは多かったという[179]

安藤は制作終了後のインタビューで、最終的には作品と距離をおいた関わり方になってしまったこと、全体としては宮崎の作品の枠を出ることができなかったこと、当初自分で思い描いていた作品はどうしても実現できなかったことを振り返っている[182]。しかし、宮崎は「安藤の努力と才能がいい形で映画を新鮮にしている」と評価しており[187]、鈴木は宮崎と安藤の緊張関係によって画面に迫力がみなぎるようになったと語る[180]。安藤は本作を最後にジブリを退職したが[168][188]、『かぐや姫の物語』(2013年)にはメインアニメーターとして、『思い出のマーニー』(2014年)には作画監督および脚本(連名)としてジブリ作品に再び参加している。
作業の遅延

2000年9月20日、スタジオジブリ社長、徳間康快が死去。10月16日、新高輪プリンスホテルにてお別れ会。宮崎は会の委員長を務めた[169]。葬儀に出席する喪服の男たちがみなカエルのように見えたと語っており、作中に登場するカエル男たちとの関係をほのめかしている[67]。徳間は作品の完成を見ずにこの世を去ったが、「製作総指揮」としてクレジットされている。

同時期、作画作業の遅延は深刻化していた。前述の通り作画監督が増員されたのはこのころだった。経験の浅い新人アニメーターに対しては「遅くとも1人1週間で1カットあげる」という目標を設定したが、それだけではとても公開に間に合わない計算になり、鈴木は頭を悩ませた。社内で上げたカットは全体の半分程度にとどまり、残りは外注で仕上げた。アニメーターの小西賢一に依頼して実力のあるフリーアニメーターをリストアップしてもらい、支援を要請した[189]

動画・彩色は、国内の外注スタジオに委託しただけでは間に合わないということが明らかになった[190]。そこで、ジブリ創設以来はじめて、海外スタジオに動画と仕上を外注することを決断[191]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:630 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef