表
話
編
歴
1101年の十字軍
メルシヴァン
第一次ヘラクレア・シビストラ
第二次ヘラクレア・シビストラ
第一次ラムラ
第二次ラムラ
トリポリ(英語版)
ハッラーン
第三次ラムラ(英語版)
アルタフ(英語版)
シドン(英語版)
第一次シャイザル(英語版)
アル=サンナブラ(英語版)
サルミン(英語版)
サルマダ(英語版)
ハブ(英語版)
ヤッファ・ティルス
イブナ(英語版)
アレッポ(英語版)
アザーズ(英語版)
マルジュ・アル=サッファー(英語版)
バーリン(英語版)
第二次シャイザル(英語版)
エデッサ (1144年)(英語版)
エデッサ (1146年)(英語版)
ボスラ(英語版)
レバント
コンスタンティノープル(英語版)
ドリュラエウム(英語版)
エフェソス(英語版)
メンデレス(英語版)
カドムス山(英語版)
ダマスカス
イベリア半島
リスボン
トルトーザ(英語版)
第2回十字軍後
イナブ
アインタブ(英語版)
アスカロン(英語版)
フラ湖(英語版)
アル=ブカイア(英語版)
ハリム(英語版)
第一次ビルベイス(英語版)
アル=バベイン(英語版)
第二次ビルベイス(英語版)
ダミエッタ(英語版)
モンジザール
マルジュ・アユーン
ヤコブの浅瀬
紅海(英語版)
ベルヴォア城(英語版)
アル=フレ(英語版)
ケラク(英語版)
クレッソン
ヒッティーン
エルサレム(英語版)
ティルス(英語版)
サフェド(英語版)
第三回十字軍
アルヴォル
シルヴェス
アッコ
フィロメリオン
イコニウム
アルスフ
ヤッファ
1197年の十字軍
表
話
編
歴
第5回十字軍
エルサレム
ダミエッタ
第6回十字軍後
エルサレム攻囲戦 (1244年)
ラ・フォルビー
表
話
編
歴
第7回十字軍
ダミエッタ(英語版)
マンスーラ
ファリスクール(英語版)
レバントの十字軍の終焉
アルスーフ陥落(英語版)
カエサレア陥落(英語版)
ハイファ陥落(英語版)
サフェド陥落(英語版)
アンティオキア陥落(英語版)
第8回十字軍
クラク・ド・シュヴァリエ陥落(英語版)
トリポリ(英語版)
第9回十字軍
トリポリ陥落(英語版)
アッコ陥落
ルアド陥落(英語版)
十字軍(じゅうじぐん、ラテン語: cruciata、フランス語: croisade、英語: crusade)とは、中世に西欧カトリック諸国が聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことである。
一般には、上記のキリスト教勢力による対イスラム遠征軍を指すが、キリスト教異端に対する遠征軍(アルビジョア十字軍)や北欧や東欧の非キリスト教圏に対する征服戦争(北方十字軍)などにも「十字軍」の名称は使われている。
実態は必ずしも「キリスト教」の大義名分に当て嵌まるものではなく、中東に既にあった諸教会(正教会・東方諸教会)の教区が否定されてカトリック教会の教区が各十字軍の侵攻後に設置されたほか、第4回十字軍や北方十字軍などでは、正教会も敵として遠征の対象となっている。また、目的地も必ずしもエルサレム周辺であるとは限らず、第4回以降はイスラム最大勢力であるエジプトを目的とするものが多くなり、最後の十字軍とされることもある第8回十字軍は北アフリカのチュニスを標的としている。
なお、本項では十字軍の回数を8回とする。解釈によってその回数には差異がある。第1回から第4回までは多くの歴史記述で共通であるが、たとえば第5回(1218年-)を数えない説があったり、第6回(1228年-)は破門された神聖ローマ皇帝による私的な十字軍(フリードリヒ十字軍)として数えない例もあった。1270年の聖王ルイの出征まで8回(または7回)とすることが多いが、異論もある。回数で名付けられている主要な十字軍の他、個々の諸侯が手勢を引き連れて聖地に遠征する小規模な十字軍も多く存在した。文部科学省・全国歴史教育研究協議会は7回としている[1][2]。また、巡礼で聖地に到着した騎士や兵士が現地でイスラム勢力との戦闘に参加するのも、聖地にそのまま住みついた騎士らや聖地で生まれ育った遠征軍の末裔らが作る十字軍国家が継続的にイスラム諸国と戦うのも、十字軍である。その他、第1回十字軍時の庶民十字軍、少年十字軍、羊飼い十字軍などの大小の民衆十字軍が起こっているものの、大部分は聖地にたどり着けていない。