十和田湖
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1908年(明治41年)に文人の大町桂月が初めて十和田湖を訪れ、1921年から1923年にかけて周辺を探勝し、その素晴らしさを紹介して以降は、風光明媚な観光地として知られるようになった[8][31]。観光に訪れる客の玄関口となった国鉄三沢駅(当時は古間木駅)には上流階級の使用を想定した貴賓室が設けられた[32]

景勝地の十和田湖を全国に紹介した大町桂月、十和田湖観光開発に尽力した法奥沢村村長の小笠原耕一と、青森県知事の武田千代三郎の3人は、十和田湖への功労者として特に有名で、1953年(昭和28年)御前ヶ浜に3人の顕彰碑として「乙女の像」が建てられた[30]

1914年(大正3年)、気動遊覧船「南相丸」が就航した[33]

奥入瀬川の水源を利用した十和田湖周辺の開発は江戸時代末期から行われていた(1855年(安政2年)には新渡戸傳が私財を投じて三本木原野を開拓している)[8]。一方、1930年代には国立公園制度ができたものの十和田湖周辺では1928年(昭和3年)に農林省の三本木原開墾事業計画が立てられ地元では自然保護派と推進派が対立していたため指定は見送られた[8]。粘り強い運動により1936年(昭和11年)に国立公園に指定され、翌年には自然保護と灌漑・発電の両立のため「奥入瀬川河水統制計画」が策定された[8]

1939年(昭和14年)10月、遊覧船が火災を起こす。乗船していた国鉄浅虫駅駅長ら2人が行方不明[34]

1968年(昭和43年)に、現在の国土地理院の地形図に記載されている、中湖の岸辺、中山半島の先の方にある蝋燭岩が、十勝沖地震の時に折れて水中に没している[35]

2003年 - 2004年ごろの300万人をピークに観光客は減少を続け、特に東日本大震災のあった2011年には大きく数を減らした。その後回復傾向にあるとはいえ、2014年でも最盛期の2/3に満たない[36][37][38]。この影響で、宿泊施設[39] や土産物屋の休廃業が相次ぎ、これらが集まる休屋地区は「廃屋通り」と呼ばれるほどの惨状を呈している[40]。こうした現状を打破すべく、環境省と地元関係団体は「国立公園満喫プロジェクト」[41] において「十和田八幡平国立公園 ステップアッププログラム2020」[42] を策定し、再開発に乗り出した。

2021年には東京2020オリンピック聖火リレーの青森県内コースに選ばれ、6月11日に十和田湖観光交流センター「ぷらっと」から「乙女の像」 まで聖火ランナーがトーチをつないだ[43][44]
観光.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}}十和田神社十和田湖遊覧船複合艇による遊覧ツアーブロンズ像 乙女の像

十和田神社が所在し、現在も観光施設や行政・公共機関(郵便局や学校など)、民家が多いのは、湖南岸で中山半島西側付け根の休屋地区(青森県十和田市)である。JRバス東北十和田湖駅や遊覧船乗り場など交通結節点であり、環境省の十和田ビジターセンター[45] や旅館・ホテルなどがある。十和田科学博物館は休館中[46]

湖畔には1953年(昭和28年)に建てられた高村光太郎作のブロンズ像「乙女の像」があり、台座には国立公園化の実現に寄与した大町桂月、武田千代三郎、小笠原新一の功績が刻まれている[8]。湖岸ではこのほか、青森県十和田市側の宇樽部、子の口や、湖の西南岸や西岸の秋田県小坂町側にも旅館・ホテル、キャンプ場、集落がある。十和田湖畔温泉としていくつかの旅館・ホテルでは温泉に入浴できる。秋田県側の十和田プリンスホテルは十和田湖西湖畔温泉を称している[47]。湖を取り巻く山々の幾つかには、湖面を見下ろせる展望台が設けられている。

青森・秋田県境にあるため、土産物屋では青森の特産物(リンゴなど)と秋田の特産物(きりたんぽ樺細工)とが両方販売されている。

十和田湖の観光は団体旅行客が主力であったが、観光が個人客に中心にシフトするにつれてホテル等の施設が対応できないまま陳腐化。2010年代に入ると東日本大震災などによる宿泊客の落ち込みもあり、休屋地区の宿泊、売店、食堂など施設の約1/3は営業できない状態となった[48]。休業中の宿泊施設は解体されるものもあったが、放置状態となり劣化、景観上から問題となるものもあった。2020年には国有地内の破綻した旧十和田観光ホテルが、環境省の代執行により解体されている[49]
航路

湖上には観光用の遊覧船が2航路運航していたが、そのうちの1つである十和田湖観光汽船(青森県青森市)が2013年に経営破綻。2014年5月からは十和田湖観光汽船(青森県十和田市)の従業員が十和田湖遊覧船企業組合(青森県十和田市)を設立したが、この航路も2016年に廃止となった[50]。十和田湖遊覧船企業組合が事業を廃止した後も遊覧船は撤去されず、2017年3月時点でも放置された状態が続いている[40]。これとは別に十和田湖には十和田観光電鉄(青森県十和田市)が定期航路を開設している[50]

2017年度(平成29年度)の十和田湖での旅客輸送実績は、定期航路が2航路で約113,700人、不定期航路が5航路で約2600人だった[51]
イベント

毎年1月下旬(2月上旬) - 2月下旬には休屋で「十和田湖冬物語」が開催され、雪像やかまくらなどを見ることができる[52]。また、20時頃から冬花火も打ち上げられる。ただし、この時期は近隣の国道102103394454号青森県道40号の一部区間が冬季閉鎖や夜間交通規制の対象となるため、来場する際は注意が必要である。特に18時以降は八甲田山周辺の通行ができないため、冬花火を見るなどしてこの時間帯に青森方面や黒石方面へ帰る場合は小坂インターチェンジ方面か十和田市方面へ大きく迂回する必要がある。

毎年7月の第3金・土・日曜日には「湖水まつり」が開催され、また7月下旬の日曜日には十和田湖一周道路(約50 km)を約12時間かけて歩く「十和田湖ウォーク」が行われる。
アクセス

鉄道下車駅乗車路線所要時間下車停留所
東北新幹線盛岡駅岩手県交通盛岡・十和田湖号約2時間15分十和田湖下車
東北新幹線八戸駅JRバス東北おいらせ号約2時間20分十和田湖下車
東日本旅客鉄道(JR東日本)/青い森鉄道青森駅JRバス東北みずうみ号約3時間十和田湖下車
花輪線十和田南駅十和田タクシー八郎太郎号(デマンドバス)約1時間十和田湖下車


空港

大館能代空港より乗合タクシー(愛のりくん ・十和田湖号)[53]

十和田湖休屋・西湖畔下車(1時間55分 )


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