十二夜
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このため、通常の物事のきまり、特にジェンダーロールの逆転が起こっている[8]。ひどいめにあって孤立するマルヴォーリオは、サー・トービー・ベルチが主導する、祝宴を楽しむ祭の共同体に敵対する存在として描かれている[9][10]
テーマ
ジェンダーロールと異性装

ヴァイオラのほかにも、シェイクスピア劇には異性装するヒロインがいる。シェイクスピアの時代の演劇では、若い男性が女役を演じており、そうした役者が一時的に男性らしいふりをする女性キャラクターに扮することで、入り組んだ変装にユーモアの要素が組み込まれるようになっている[11]。ヴァイオラは異性装をすることで、オーシーノとオリヴィアの間の使者を務めたり、オーシーノの秘密を知る親友となったりするなど、通常は男性のものとされる役割を自分のものとすることになる。しかしヴァイオラは、『お気に召すまま』のロザリンドや『ヴェニスの商人』のポーシャに比べると、男装によってプロットに直接介入することが少なく、「時」 (Time) にプロットの解決をゆだねている[12]

『十二夜』はジェンダー・アイデンディティや、さまざまな人々が性的に惹かれ合うさまを探求しているため、男性の役者がヴァイオラを演じることで両性具有や性的な曖昧さといった要素が強調されるようになる[13]。このため、『十二夜』はシェイクスピア劇の中でもきわめて直接的にジェンダーの問題を扱った芝居であると考えられることもある[14]。『十二夜』におけるジェンダーの描写は、女性が不完全な男性であるという初演の時代に普及していた科学観からきているということも指摘されている[15]。この考えにより、『十二夜』のキャスティングとキャラクターにおいて異性のきょうだいの間に見分けがつかないとされている設定が説明できる。ヴァイオラが芝居の最後にオーシーノと婚約する場面までずっと異性装のままであることは、しばしばヴァイオラとオーシーノの間のホモエロティックな関係の可能性についての議論の引き金となっている。河合祥一郎はこれについて、ヴァイオラが女装で出てくるのが冒頭の難破後の場面のみであるのは、女役を演じる役者がかなり成長しており、できるだけ男装で舞台に出しておいたほうが配役上都合が良かったのではないかという説を提示している[16]
メタシアター

オリヴィアが第1幕第5場ではじめてシザーリオ(ヴァイオラ)に出会う場面で、「コメディアンなの?」(エリザベス朝の語法では「役者なの?」と同じ意味である)と尋ねる[17]。ヴァイオラは「私は私が演じているものではありません」と答えるが、ここは演劇性や劇中で「演じる」ことに対する言及である[18]。マルヴォーリオいじめのプロットはこのアイディアにもとづいており、フェイビアンは第3幕第4場で「もし今これが舞台でかかっている芝居なら、ありえないオハナシだと文句つけるところですよ」と言っている[19]。第4幕第2場では、道化のフェステが地元の聖職者であるサー・トーパスの声色と自分自身の声を交互に使いながら2役を演じ分けて、マルヴォーリオをからかう。フェステは自分をイングランドの道徳劇に出てくる「昔のヴァイス(悪徳)役」になぞらえてしめくくる[20]。イングランドの民俗的伝統の影響はフェステの歌や台詞にも見受けられ、第5幕の最後の歌などがその例である[21]。歌の最後の歌詞は、イングランドの伝統的な出し物の台詞を直接反映するものとなっている[22]
初演と執筆時期

ジョン・マニンガム (John Manningham) はミドル・テンプルで法律を学ぶ学生であったが、1602年2月2日のキャンドルマスの日に『十二夜』がミドル・テンプルで上演され、学生が招かれたと日記に記録している[23]。これが記録に残る最初の上演であり、これ以降にこの芝居が執筆されたということはあり得ない。出版は1623年のファースト・フォリオに入るまで行われなかった。

従来この劇の初演は、1601年1月6日にエリザベス1世の宮廷で行われたと言われていた。これはシェイクスピア学者のレズリー・ホットソンが『「十二夜」の第一夜』(The First Night of 'Twelfth Night', 1954年)で唱えた説で、十二夜のその日その場所でシェイクスピアの劇団が劇を上演した記録があることと、その時の主賓が登場人物と同名のイタリア貴族オーシーノ公爵だったことを根拠にしている。しかしこの説は、公爵が自分と同名の登場人物が道化にからかわれるのを見て喜んだか、また公爵訪英の知らせが入ったのが12月25日のことで、いくらシェイクスピアでもこれほどの短期間で新作を仕上げるのは難しいのではないか、という疑問がある。

執筆年代について確実に言えるのは、前述したように1602年の初めには上演できる状態であったということと、どれほど早くとも1599年以後に書かれたということ程度である。それは同年に出版されたエドワード・ライト (Edward Wright) のイギリス初の世界地図への言及が第3幕第3場のマライアの台詞にあることからわかる。デイヴィッド・ビーヴィントン (David Bevington) は1599年の執筆の可能性を示唆している。さらに英文学者の河合祥一郎は、シェイクスピアの作品をパロディ化している作者不明の『気をつけろ』(Look About You, 1599年から1600年執筆、1600年出版)が『十二夜』の真似もしていることから、それ以前であること、つまり1599年1600年だという[24]。しかし1601年説も根強い。年代について確定的なことを言うのは困難である[25]
テクスト

本作の正式なタイトルは Twelfth Night, or What You Will である。芝居に副題をつけることはエリザベス朝の流行であるが、『ヴェニスの商人』 (The Merchant of Venice) の別題『ヴェニスのユダヤ人』 (The Jew of Venice) を副題として扱う場合があることを除けば、『十二夜』はシェイクスピア劇で唯一、出版時に副題がつけられた作品である[11]

『十二夜』の古い版本はファースト・フォリオのみで異本はないが、このテクストは以下のような問題を孕んでいる。初演から出版まで20年ほど経過していることから、初演時の台本ではなく、上演を重ねていくうちに改修が行われた台本を底本として用いたためと思われる[26]

オーシーノ公爵が途中から伯爵と呼ばれている。

「私、歌が歌える」といっていたヴァイオラが歌を歌わない。

マライアがマルヴォーリオいじめを計画する時、サー・トビーとサー・アンドルーと阿呆の3人にマルヴォーリオを隠れ見るように言っているのに、実際には阿呆ではなくフェイビアンなる人物がでてくる[27]

上演史
シェイクスピアの時代

初演と執筆年代の節で述べたように、最初の記録に残っている上演は1602年2月2日にミドル・テンプルで行われた上演である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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