初演と執筆年代の節で述べたように、最初の記録に残っている上演は1602年2月2日にミドル・テンプルで行われた上演である。この上演のことを日記に記録したジョン・マニンガムは、明らかにマルヴォーリオのプロットを一番楽しかったと評価しており、さらにシェイクスピアが前に執筆した芝居である『間違いの喜劇』との共通点を指摘し、材減のひとつである『インガンニ』との関係にも触れている[28]。
初演はもっと早い時期であったかもしれない。初演と執筆年代で述べたレスリー・ホットソンなどの主張が正しければ、ホワイトホール宮殿で1601年1月6日の十二夜の祝宴で本作が上演された可能性もある[29]。『十二夜』は1618年4月8日のイースターマンデイ
に宮廷で上演され、1623年のキャンドルマスにも上演されている。『十二夜』はイングランド王政復古にあたって最初期に再上演された演目のひとつである。サー・ウィリアム・ダヴェナントは1661年にこの戯曲を翻案しており、トマス・ベタートンをサー・トービー・ベルチの役で起用した。サミュエル・ピープスはこのバージョンを「馬鹿な芝居」だと考えたが、それでも1661年9月11日、1663年1月6日、1669年1月20日に観劇している。別の翻案である Love Betray'd, or, The Agreeable Disappointment が1703年にリンカーンズ・イン・フィールズで上演されている[5]。
17世紀から18世紀初めまでは翻案ばかり上演されていたが、シェイクスピアの原作版『十二夜』が1741年にドルリー・レイン劇場で再演された。1820年にはフレデリック・レイノルズがオペラ版を上演し、音楽はヘンリー・ビショップが担当した。 1912年にハーリィ・グランヴィル=バーカーが非常に影響力のある上演を行い、1916年にはオールド・ヴィック・シアターで『十二夜』が上演された。イェール大学演劇協会による1921年の『十二夜』上演ポスター リリアン・ベイリス
20世紀から21世紀
リヴィウ・チューレイが1984年10月から11月にかけてミネアポリスのガスリー・シアターで行った上演は、アーキタイプ的なサーカスの世界を舞台とし、祝宴的、カーニヴァル的な要素を強調した[30]。
初演時はすべての女役が男性によって演じられていたが、その後数世紀の間は女性を女役に起用するのが普通であった。ロンドンのシェイクスピアズ・グローブのカンパニーでは多数の非常に人気が高いオールメールキャスト上演を実施しており、2002年のシーズンでは『十二夜』を上演した。これはグローブの芸術監督マーク・ライランスがオリヴィアを演じ、エディ・レッドメインがヴァイオラを演じるもので、シーズン開幕前の2月に、1602年にこの芝居が上演されたミドル・テンプル・ホールで上演400周年記念を祝って先行上演された。2012年から2013年のシーズンでこの演目が再演され、グローブでの上演ののちウェスト・エンドとブロードウェイに劇場を移して上演された。上演は非常に人気があり、売り切れとなった。スティーヴン・フライがマルヴォーリオ、ヴァイオラ役はジョニー・フリンが演じ、『リチャード三世』とともにレパートリーの一部として上演された[31]。
20世紀後半には多くの著名な女優がヴァイオラを演じており、ステレオタイプ的なジェンダーロールの限界を超える感覚を、どれほど観客に経験させられるかが解釈のキーのひとつとなっている[32]。これは時として、本作のプロダクションがどの程度統合の感覚を再確認する方向に向かうかということと関連する。例えば、芝居の結末部分で第二次世界大戦後のコミュニティの再統合を強調した1947年のプロダクションでは、当時44歳であったビアトリクス・レーマンが演じるたくましいヒーロー/ヒロインとしてのヴァイオラがこの再会と再統合を主導した[33]。1966年のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのプロダクションでは、ダイアナ・リグ演じるヴァイオラがそれまでの上演よりもはるかに公爵に対して肉体的魅力を発揮し、宮廷もとくに男性間での肉体的誇示があらわになるような場所として描かれ、ジェンダーの侵犯がより明白になった[34]。