十七歳の地図_(曲)
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須藤はそれまで尾崎の才能に気付いておらず、本作によってそれに気づいたと述べた他、「ダンスホール」を始めそれ以外のデモテープの作品も全て尾崎自身が制作していると確信したと述べている[5]。編曲を担当した西本を始め、町支寛二や他のミュージシャン達も、尾崎の作品に関しては「詞がいい」と一様に評価していたという[9]

西本への編曲に関する発注イメージとして、ブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」(1975年)が伝えられた[10]。本作は当初カントリーロックのような曲調であったと須藤は述べており、またレコーディング時に勢いづいた尾崎は歌の出だしから1オクターヴ高いキーで歌い始めたため、サビで1オクターヴ下げる事になったとも述べている[10]
リリース

1984年3月21日CBSソニーより7インチレコードでリリースされた。B面曲「OH MY LITTLE GIRL」は、1994年にドラマタイアップとして改めてシングルカットされ、ミリオンセラーとなった。

デビューアルバム『十七歳の地図』からのリカットであり、アルバムのロングセールスを狙ってシングル化が企画された[11]。また同年3月15日に行われた新宿ルイードでの初単独ライブや5月8日9日の再度のルイードライブおよび6月から開始される「六大都市ライブハウス・ツアー」をバックアップするためにリリースされた[12]。シングルカットとして本作が選ばれた理由は、ラジオ放送などでより多くの人の耳に入り、アルバムおよびライブに関心を持ってもらうためであった[11]。そのような事情もあり、本作はシングル用に再レコーディングされ別バージョンとして収録された[11]。シングルバージョンはアルバムと異なるミックスとなっている他、尾崎のボーカルにも尾崎自身の声でハーモニーが加えられ、よりポップな雰囲気となり当時のラジオ放送に適した形となった[11]。シングルバージョンは、CD-BOXTEENBEAT BOX』(1995年)内の『RARE TRACKS』にて初CD化された。
ミュージック・ビデオ

本作では尾崎にとって初のPVが制作された。監督は佐藤輝。蝶や蜂など昆虫の映像と砂丘に佇む尾崎の姿、1984年3月15日新宿ルイードでのデビューライブのモノクロ映像で構成されている。PVでは尾崎の上半身に蜂蜜を塗布し数十匹の虫を貼り付けており、尾崎は虫が苦手であったが何も言わずに撮影に従っていた[13]。その後尾崎のPVは佐藤が複数作担当する事となるが、尾崎が佐藤の演出にNGを出した事は一度もなかった[13]

砂丘に尾崎が佇むシーンの撮影は、静岡県浜松市にある中田島砂丘にて行われた[13]。撮影には強い光を放つアークライトが使用され、尾崎は「絶対に直視しないように」と念を押されていたものの、ライトの横にカメラがあるため光が目に入り、炎症を起こしたためすぐに救急車で運ばれたが大事には至らなかった[13]

1984年当時、深夜番組においてPVを扱う番組が増加し、多くは洋楽ミュージシャンのPVであったが一部では邦楽ミュージシャンに特化した番組も存在した[14]。当時映像作品を積極的に制作していたソニー所属のアーティストは放送される機会が多く、本作のPVもその中に含まれていた[14]。このPVは後にビデオ『6 PIECES OF STORY』(1986年)に収録された。
カバー

175R - 『"BLUE" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』(2004年[15]

シングル収録曲全作詞・作曲: 尾崎豊、全編曲: 西本明
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.「十七歳の地図」(SEVENTEEN'S MAP)尾崎豊尾崎豊5:02
2.「OH MY LITTLE GIRL」尾崎豊尾崎豊4:35
合計時間:9:37

スタッフ・クレジット
参加ミュージシャン

滝本季延 -
ドラムス

本田達也 - ベース

青山徹 - ギター

鳥山雄司 - ギター


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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