江戸時代の偽書『先代旧事本紀大成経』巻70「憲法本紀」では、推古天皇12年5月に「通蒙憲法」、6月に「政家憲法」、10月に「儒士憲法」「神職憲法」「釈氏憲法」各17条(計85条)が発布されたとされており、これらを合わせて「五憲法」という。このうちの「通蒙憲法」が、『日本書紀』所載の「憲法十七条」とほぼ同文である。ただし、『日本書紀』では第2条となっている「篤敬三宝。三宝者仏法僧也。」(篤く三宝を敬え、三宝とは仏・法・僧なり)が最後の第17条に移され、内容も「篤敬三法、其三法者、儒、仏、神也」[6](篤く三法を敬え、その三法とは儒・仏・神なり)となっている[7]。『先代旧事本紀大成経』が偽書として発禁処分になったのち、天明年間(1781年 - 1788年)に『五憲法』のみが独立して板行され流布した[8]。
十七条憲法を扱った作品
書籍
三波春夫『聖徳太子憲法は生きている』小学館〈小学館文庫〉、1998年 ISBN 4-09-402621-5
宮東斎臣 原書解読; 青沼やまと, 後藤隆 口語訳『聖徳太子に学ぶ十七絛五憲法』文一総合出版刊、1995年 ISBN 4-8299-1100-X
いずれも、全85条の十七条五憲法の紹介。仏法僧の三宝とは別に、三法が神・儒・仏と記される。神職、僧侶、儒者、政治家と公務員に向けた五種類の十七条憲法を逐条解説している。(ただし、上述のように「五憲法」は『先代旧事本紀大成経』の一部であり、江戸時代の偽作とするのが通説である。)
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 例えば第1条の「以和爲貴、無忤爲宗。」(和を以て貴しと為す、忤ふること無きを宗とせよ)は、孔子の『論語』第1卷 学而第12「有子曰 禮之用和爲貴」(礼を之れ用ふるには、和を貴しと為す) が典拠である。その他、第4条の礼、第6条の勧善懲悪、第7条の聖王、第9条の信、第16条の時宜を得た賦役など。
^ 第2条の三宝、第10条の忿・瞋など。
^ 第11条の信賞必罰。
^ 何事不成:成りの頭に不である。出来ないと言う意味。
^ 社禝:現代では神社に当たる。
出典^ 五箇条の御誓文に甦った十七条憲法の精神--〔聖徳〕太子憲法の説く「協心協力」の世界