医師
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しかし時代が進むにつれ外科医や薬剤師も独自に治療を行うようになり、彼らも医者とみなされるようになっていった。その他に、フランス語では medecin(メドゥサン)、ドイツ語ではArzt(アルツト)である。

また、日本、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド等では、博士の学位を所持しない医師は「ドクター[注釈 3]」と呼ばれる。ただし、英連邦諸国では、外科医は学位にかかわらず、今日なお日本語の「.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}〇〇(だれそれ)」さん」に相当する「ミスター・〇〇(だれそれ)」と呼ばれ、「ドクター・〇〇(だれそれ)」とは呼ばれない。本来なら master(修士)のさらに上位にある学位の名称である doctor(博士)が、医師の名称としても用いられるようになったのは医師制度の発展してきた歴史的背景、および免許取得過程上要求された学位が関係しているとされている。

今日の日本では、一般に「お医者さん」「医者」「ドクター」「先生」と呼ばれる。「医師」という名称が確立し一般に広く普及したのは、明治以後のことである。このほか、日本語で「医師」の同義語には「医(い)」「医家(いか)」「医家(いけ)」「医士(いし)」「医生(いせい)」「医(くすし)」「薬師(くすし)」「薬師(くすりし)」「薬医(やくい)」などがある。

船舶で勤務する者は船医、軍隊に所属する者は軍医と呼ばれる。

一般に、適切な診療能力を持たず、治療にならないことをしたり誤診をしたり医療過誤を引き起こしたりする医師は藪医者[注釈 4]と呼ばれている。
歴史「医学と医療の年表」も参照医師と患者が描かれた古代ギリシアの壺(紀元前480?470年頃のもの)

古代には病気というものに対して悪魔によるもの等と信じられていたため、「医師」という職業は世界各地で現在でも宗教と密接に関わっているものが多い。

西洋において「医」の象徴とされているのはギリシア神話に登場するアスクレピオスである。アスクレピオスの杖は世界保健機関(WHO)を含めて世界各国で「医」の象徴として用いられている。

古代西洋では、医師の社会的地位は比較的低かった。古代ギリシアにおいては、医師は自由市民であるとは限らず、奴隷である医師もいた。自由市民は自由市民の医師が診察し、奴隷は奴隷である医師が診察した。また古代ローマにおいても、市民権は与えられたといわれるものの、医師の地位は高くなかった。これはローマにおいて往々に医師が被征服民のギリシア人が多く、更には奴隷階級とされた者も多かったためと考えられている。医師の社会的地位が高くなったのは中世ヨーロッパにおいてである。人の命に関わる重要な職業なので、専門職として特別な地位を与え、それに応じた責任が求められるようになった。

西洋においては、内科が知識主義に基づいて伸長したのに対し、外科は経験主義を基礎に伸長した。初期には床屋などから外科医となるものが多かった。七十一番職人歌合』三十四番に描かれた室町時代の薬師(くすし)

東洋において「医」の象徴とされているのは一般に薬師如来が知られているように、日本においては「薬師(くすし)」と呼ばれた和漢薬の専門家が医師の起源となる。当時の薬学である本草学に基づき生薬を用いて診療を行った。日本の漢方医学中国の漢方医学とは16世紀頃分かれて独自の道を歩いている。律令制においては、典薬寮の下に官職としての「医師」が置かれた他、大宰府令制国にも医師が派遣されていた。

江戸時代においては士農工商の工に当たるとされたが、御典医などは士分に準ずる扱いを受けることもあった。鎖国下にあって西洋諸国に向けた唯一の公的な窓口であった長崎警備を受け持つ佐賀藩西洋医学の影響を強く受け、幕末期の1851年に「医業免札制度」を導入し、全ての医師に開業には免許を必須とした[2]

明治時代、西洋医学を日本に導入するため西洋から医者を招いた。また「医師」という呼称が用いられるようになったのは明治時代に入ってからである。それ以前は「医者」と呼んでいた。

日本では明治維新後の1874年、医師を免許制とする制度が導入され、1876年には新たに免許を受けようとするものは洋方六科試験合格が必要となることが内務省から通達され、漢方医を志す医師であっても西洋医学を学ぶことが必須とされるようになった[3]。現代の中華人民共和国韓国ではそれぞれ中医師韓医師という医師とは別の資格が並立している。
世界各国の医師制度G20各国の医師数(人口1,000人あたり)
米国の医師制度医師免許取得過程については「アメリカの医学教育」を参照「en:Physicians in the United States」も参照

米国では、他の分野と同様に全ての医療関連免許はそれぞれのが交付する。日本のように医師免許があれば事実上すべての診療科を行うことができるというものではなく、各診療科ごとの専門医資格を必要としている。また手術手技や診療に関しても段階が存在し、高度な医療を行うにあたってもまた別にその専門医資格を必要としている。現在、各州において医師免許に定年制度は設けられていない、専門医資格は3?4年に1回、指定された講義単位数や実績を前提に更新が行われている。
英国の医師制度「イギリスの医療#医学教育」も参照

英国では、日本のように「医師」であれば事実上全ての診療科を行うことができるということはなく、各診療科ごとに専門医資格が必要とされている。また「総合診療医家庭医療/一般医療: general practice)」と「病院医(専門医療)」とが厳格に区別され、それぞれ専門領域として独立している[4]

1890年代には現代ほど厳密ではなく、医学生が医師の助手や船医として勤務したり、専門医資格が無い医師が専門医院を開業したりしても違法ではなかった。アーサー・コナン・ドイルは医学生時代に捕鯨船の船医を務めた他、眼科資格を取得しないままロンドンで眼科診察所を開業していた。

英国の大学医学部は全て公立(バッキンガム大学のみ私立と位置付け)で、伝統的に大学の権威が高く認められているため、医師資格の国家試験は存在せず、各大学の「卒業試験」に合格し卒業することで医師免許が与えられる。留年は認められていないため、中退者も少なくない。

日本と同様に、高校卒業後に大学医学部に入学となるが、英国の大学入学には「A-Level」という統一試験があり、その成績と面接・書類審査等で厳重に行われ各大学の医学部入学となる。医学部は約5年制で、各大学ごとに様々なカリキュラムが組まれている。卒業後は2年間の臨床研修が義務付けられ、その後に専門とする診療科を選択する[4]。ここで大きく「総合診療医(general practice)」と「病院医(専門医療)」とに進路は選択され、それぞれ研修が行われる[4]。そして研修終了の後にそれぞれ総合診療認定医、専門認定医の試験があり、合格して初めて「医師」としての独立した診療行為が許されている。

一般的に医師免許はその国の中でしか通用しないが、英国の医師免許はニュージーランドなどのイギリス連邦加盟国や植民地でも通用する。またヨーロッパ諸国の資格が有効となる場合もあり、コナン・ドイルは眼科資格を取得するため1891年にウィーンへ移住した(ドイツ語能力の不足により断念)。

英国の植民地の住民が医師を目指す場合には英国の医大に入学することが多い。特に医大のような高等教育機関を持たない植民地の場合はイギリス本国かイギリス連邦加盟国の医大へ行くしかない。このように、英国の医師免許は国際免許のような性格を持っているため、シンガポールやブルネイなどの経済的に豊かな小国で医師を目指す人間が英国の医大に入学して医師になる場合が非常に多い。

このため、イギリス連邦なら絶海の孤島であっても医師の質が比較的高い場合が多い。香港などでは返還前はイギリスの医師免許を持った医師しか医業を行えなかったが、香港返還後ではイギリスと中国の両方の医師免許が通用する。
ドイツの医師制度

ドイツでも、日本のように「医師」であれば事実上全ての診療科を行うことができるということはなく、各診療科ごとに専門医資格が必要とされている。

ドイツの医師国家試験は4段階の試験が存在する。まず日本と同様に中等教育修了後に大学医学部に進学でき、そこで約6年間の医学教育を受けるが、医学部での勉強と医師国家試験は平行して行われ、医師免許取得後にも医学部で医学教育を受ける必要がある。

まず医学部在学2年目で「Physikum(教養試験)」(教養科目)と呼ばれる自然科学系国家資格の統一試験がある。


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