医学
[Wikipedia|▼Menu]
一例として、生姜の使い方を見ると、どちらも風邪の時に使うことはあるものの、民間療法では風邪の時に何の考えもなしにそれを機械的に与えるのに対し、中国伝統医学では、寒気(さむけ)が強い時のみに使用され、反対に熱感が強い時には使用しないのである。なぜなら、中国伝統医学では、生姜は体を温める作用がある、と考えているからである[7]

日本でも古代より「医」は巫女陰陽師僧侶によって中国から伝えられた呪術、医療が行われていた。室町時代以降は中国大陸との交易も盛んとなり、漢方が積極的に伝わっていった。江戸時代以降は、日本は独自の漢方医学を発展させ、薬学である本草学を中心に診療が行われていった。華岡青洲によって記録上世界最初となる麻酔による乳癌手術が行われたりした。また、幕末には国学の影響を受けて漢方伝来以前の医学を探求する動きも現れた。

現在は中華人民共和国では中医学朝鮮民主主義人民共和国では東医学大韓民国では韓医学として実践されている。これらの伝統医学は、長い歴史を通じて各地で培われ、現在でも広く実践されている。
西洋医学ギリシア神話にて医の神であるアスクレーピオスの像。左にシンボルの手術詳細は「西洋医学」を参照

ヨーロッパ世界においては、「医」の起源は古代ギリシアヒポクラテスとされている。ヒポクラテスは学問としての医学を確立し[8]、その後古代ローマガレノスアリストテレスなどの自然学を踏まえ、それまでの医療知識をまとめ、古代医学を大成した[9]

しかしこうした医学書の多くはギリシア語で書かれていたため、ローマ帝国の崩壊とともにヨーロッパではその知識の多くが失われ、断片的なものが残るに過ぎなくなっていた。一方、医学知識はローマの継承国家でありギリシア語圏である東ローマ帝国において保持され、8世紀以降アッバース朝統治下においてヒポクラテスやガレノスをはじめとする医学文献がアラビア語に翻訳された[10]。イスラム世界においてもガレノスは医学の権威とされ、その理論を基礎とするイスラム医学が発達した[11]。11世紀初頭にはイブン・スィーナーが「医学典範」を著わしたように、この時期イスラム世界では百科全書的医学書が多く編まれ、イスラムおよびヨーロッパ世界に大きな影響を与えた[12]

これらのアラビア語文献は、12世紀に入るとシチリア王国の首都パレルモカスティーリャ王国トレドといった、イスラム文化圏と接するキリスト教都市においてラテン語へと翻訳されるようになった[13]。これによってヒポクラテスや、特にガレノスの著作が西欧に再導入され権威とされたほか、イブン・スィーナーなどの新たな文献も流入した[14]

ヨーロッパ中世においては、内科学のみが医学とされ、外科学の地位は低かった。外科医療は理容師理容外科医とも言われた)によって施術され、外科手術や瀉血治療などが行われていた。(内科学外科学の記事を参照)。16世紀に入ると、それまでの伝統的医学を打ち破る新たな流れが生まれ始めた。解剖学ではアンドレアス・ヴェサリウスが1543年に『ファブリカ』(人体の構造)を著わし、ガレノスの誤りを修正した[15]。また、パラケルススは医学への化学の導入を試み医化学を確立した[16]

18世紀前半には、ヘルマン・ブールハーフェが近代的な臨床の方法論を確立した[17]。またこの時期、ジョバンニ・モルガーニが医学と解剖学を結びつけ、病理解剖の創始者となった[18]。1796年にはエドワード・ジェンナー種痘を成功させた[19]

19世紀に入ると、自然科学の発展に伴い医学も急速な発展を遂げた。特に19世紀後半には、ロベルト・コッホルイ・パスツールによって細菌学が創始され、人工的な弱毒化によるワクチンの生産や多くの病原菌の発見が起き[20]、さらにこれに関連して衛生学も進歩を遂げた[21]

日本では安土桃山時代にキリスト教の伝来に伴ってわずかに西洋医学の流入があったとされるが[22]、本格的な流入は江戸時代中期の1774年、オランダ語の解剖学書である『ターヘル・アナトミア』が杉田玄白前野良沢らによって翻訳され、『解体新書』として出版されてからのことである[23]。解体新書の出版は日本の医学界に衝撃を与え、以後医学を中心に蘭学が隆盛するきっかけとなった[24]
通常医療と代替医療の状況

近年、伝統中国医学の本場であった中国では西洋医学の医師が増加中で現代西洋医学の利用される割合が増加しつつある。

反対にアメリカ合衆国やヨーロッパ諸国では西洋医学の様々な問題点が取り沙汰され、伝統医学などの代替医療のほうが高く評価され利用率が増えており、アメリカ合衆国では代替医療の利用率が西洋医学のそれを超えた。無保険者だけでなく、富裕層の利用も増えている[25]

日本では、西洋的な思考様式に基づく医学を「西洋医学」、伝統中国医学の思考様式に基づく医学を「東洋医学」と、大きく区分して呼ぶことが一般的である。現在日本で「東洋医学」と呼ばれるものは、おおむね伝統中国医学に相当し[7][注 1]、中国大陸で生まれ発達し、日本にも伝えられた[7]。西洋医学が入ってくるまでは日本の主流医学であった[7]。江戸時代の日本に「オランダ医学」が入ってきた時に、それらの医学を呼び分ける必要が生じ、オランダの医学に対して、中国(漢)の医学という意味で「漢方医学」と呼ぶようなことも行われるようになった[7]という。明治政府の方針により西洋医学が主流の医学と位置づけられるようになり、東洋医学を行う医師も西洋医学を学ぶことになった。それ以来、日本では西洋医学の利用者数が多くなったが、現在でももっぱら東洋医学のほうを好み愛用する人々もおり、両者は並存してきた。
分類

研究や教育のための知識体系としての医学は、次のように分類されている。大学医学部の組織においても、研究・教育のための人員の配置がこの分類に沿って行われる場合が多い。最近は、名称が多様化しているが、実質は、下記の分類とさほど変わりがない場合が多い。
基礎医学

人体の構造・機能、疾患とその原因など医学研究の根拠となる知見を得るための学問分野である。これらの科目は医学部、薬学部等医療系学部以外に一部の大学では理学部理工学部等の生物学科でも開講している。

解剖学 - 発生学 - 組織学- 生理学 - 病理学 - 生化学分子生物学 - 薬理学 - 免疫学 - 微生物学細菌学ウイルス学) - 医動物学・寄生虫学 - 神経科学


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:56 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef