医学部
[Wikipedia|▼Menu]
リハビリテーション学部」も参照
先進医療科学科

先進医療科学科(せんしんいりょうかがくか)は、2023年4月より大分大学医学部に設置されている4年制の学科。
生命健康科学コースと臨床医工学コースの2つに分けられている。なお、後者は国立大学として初めて臨床工学技士国家試験受験資格を得ることが可能なコースである。
医療創成工学科

医療創成工学科(いりょうそうせいこうがくか)は、2025年4月より神戸大学医学部に設置される予定の4年制の学科。
東洋医学

2012年の報告によれば日本にあるすべての大学の医学部にて東洋医学の講義が行われているが[2]、日本の医学部には東洋医学の学科は存在しない。
大学院

「学士(医学)」及びその他の6年制学部卒業者や修士号取得者は医学系の大学院研究科に入学することが可能で、「博士(医学)」の学位を取得することが出来る。すなわち、医師養成課程を経ずとも博士(医学)の学位を取得できる。

「博士(医学)」の学位を取得できる大学院は、医師養成課程を持つ大学に設置される。「博士(医学)」の学位を取得するためには、それらの大学院医学研究科に入学する必要があり、さらに、自ら執筆した論文の評価によって博士の学位が授与される。医学研究科は4年制であるが、社会人大学院に入学した場合は3年以上の授業料納付と博士(医学)と認められるのに充分な論文の提出が必要である。

なお、博士(医学)は学位であり医師免許とは無関係なので、医師ではない博士(医学)の者は医業を行うことはできない。また、医学部医学科を卒業せずに、博士(医学)の学位だけを取得しても、医師国家試験の受験資格はない。医師となるには、医学部医学科を卒業予定あるいは卒業した者が、医師国家試験を受験して合格する必要がある。
教育

医学部の医学科は2016年時点で日本では80大学にあり、1学年100人前後の入学者数で構成される[3]
1973年の「無医大県解消構想」の閣議決定があり医学部定員は増加を続けたが、1982年に医師数過剰を防ぐためとして定員は抑制され、2003年から2007年まで7625人に据え置かれた[4]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}入学志望者の競争倍率は高く、医学科の学生の平均年齢は他学部に比べ高い[要出典]。

各大学発表の収支報告書によると、基本的に授業料収入が教育経費を上回っている。私立大学医学部医学科の高額な学費は、教育費に加え大学病院の赤字補填費や研究費に充てられる。私立大学医学部医学科の6年間総額納入金の平均額は約3300万円[5]である。最高額は私立川崎医科大学で卒業までに約4600万円が必要。一方で公設民営自治医科大学のように、卒業後に一定の条件を満たせば授業料がほとんど無償という大学もある。

医師国家試験の合格率が大学評価に直結することも多く、理学部工学部などに比べて進級および卒業の難易度は高いと言われる[6]。そのため大学の医学部医学科に於ける留年の問題は旧来より論じられている。
近年の地域枠新設等に伴い医学部学生数が増加している現状に即し、再度議論を行う必要性が高まってきている。医学部医学科入学時、医学科のカリキュラムに学力・体力ともに耐えうる者が選抜されて医学科学生として医学部医学科への在籍を開始している前提にもかかわらず、入学から数年間で留年(原級留置)する医学部学生には、学力的或いは体力的に、将来医師となる者としての資質が欠けている可能性が高いと考えられている。入学を許可した大学は、補習を行うことで進級のための指導を行っている。医学部に投じられる国税の観点からも、留年生にたいして、ペナルティを課すことや、可能な限り低学年進路指導を行うことも検討されるべきと考えられている。特に私立大学の医学部医学科は非常に厳しく、医師国家試験に合格できそうにない学生を容赦なく留年させることも少なくなく、しかも私立大学は学費が非常に高額なために中途退学してしまう者が毎年後を絶たないという[7]

2017年現在、最も歴史の浅い医学部は国際医療福祉大学医学部で2017年(平成29年)開設である。

また、近年の医師不足の背景から、私立大学に医学部の設置を検討する動きが出てきており、同志社大学が複数の地方自治体と連携して、医学部設置を目指す動きを2012年に表明していた[8]。しかし、2013年、文部科学省は、東日本大震災復興支援として、東北地方に所在する大学一校にのみ、新設を認める方針を取ったことから、同志社大学は医学部設置を断念した[9]。その後の審査で、文部科学省の審査会は、医学部を新設する大学として、東北薬科大学を選定し、2016年度に東北医科薬科大学医学部が設置された。
入試

太平洋戦争の最中に日本政府は臨床医不足を解決するために医科専門学校を多数設立しており、戦後になると、1947年の教育基本法学校教育法の公布により基準を満たした医科専門学校が大学へ昇格し、1952年に46の医科大学や医学部に再編された。当時は国立19大学、公立14大学、私立13大学に医学部が存在し、入学定員は2820人であった[10]高度経済成長期に入ると「1県1医大」「人口10万人に医師150人」といった声が高まり、1970年の秋田大学の医学部設置を皮切りに私立医学部の新設が急速に起こり、1973年からは医学部未設置県にも次々に国立医学部が新設され、全ての都道府県に医学部が揃った。既設医学部の定員が60人から120人へ増加したことも相まって、1984年には医学部の定員は8280人に達した[10]。この時代の理系の成績上位者は多くが医学部を目指していたわけではなく、当時の成績上位者は旧帝国大学レベルの理工系学部志望者と各大学の医学部志望者で棲み分けが起きていた。当時の医学部受験生は合格の可能性の高い大学を求めて全国的に移動していた[10]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:73 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef