1891年(明治24年)に新聞取次店として創業し、1894年(明治27年)に「北隆館」と改称した[2]。1895年(明治28年)には雑誌取引に進出する[2]。明治期においては雑誌を主力商品としていたが、大正時代になると書籍にも注力するようになる[2]。1925年(大正14年)には四大取次店とまで称された[2]。明治末には『少国民』や『少年倶楽部』といった少年雑誌を創刊。明治時代から昭和初期に『植物図鑑』や『日本動物図鑑』、並びに『日本昆蟲図鑑』などの図鑑を発行しており、これら自然科学書が現在の源流とされる。戦時下で取次が集約された後は出版専業となり、現在は図鑑や辞典などの自然科学書や介護などの福祉関係・医学関連などを主とした出版を行っている。平成12年にはデジタル化に伴い『CD-ROM版原色牧野植物大図鑑』を刊行している。 株式会社北隆館は、類似する商号を用いる「株式会社図鑑の北隆館」に対して、商号の使用禁止及び商号変更請求を求める裁判を行い、1976年12月、東京地裁は、北隆館の商号使用差止請求を認めた(東京地裁 昭和51年12月24日、判タ353号・255頁)[4]。 ニュー・サイエンス社は北隆館の姉妹会社[1]。1965年(昭和40年)設立[1]。
沿革
1891年(明治24年)10月、福田金次郎により創立[1]。北陸を中心に新聞・雑誌・書籍の卸売業務を行う。
1897年(明治30年)、少年雑誌「少国民」を創刊。
1908年(明治41年)10月、東京博物学研究会編纂、牧野富太郎校訂の『植物図鑑』を参文社と共に発行[3]。
1919年(大正8年)10月、株式会社へ改組。
1932年(昭和7年)、『日本昆蟲図鑑』を発行。
1941年(昭和16年)6月、戦時下統制で配本の供給安定のために企業整備となり、取次業務を日本出版配給統制株式会社に移譲統合。
1981年(昭和56年)、月刊医学誌「アレルギーの臨床」(The Allergy in Practice)を発行。
1986年(昭和61年)、ヒューマンサイエンス財団の研究誌として、バイオテクノロジーの応用をテーマとした月刊医学誌「BIO Clinica」を創刊。
商号の使用
ニュー・サイエンス社
出典^ a b c d e “ ⇒会社沿革”. 北隆館/ニュー・サイエンス社. 2015年9月22日閲覧。
^ a b c d 蔡星慧 (2005-03). ⇒“日本の出版取次構造の歴史的変遷と現状 --取次機能の分化と専門化の観点から--” (PDF). コミュニケーション研究 (上智大学コミュニケーション学会) (35): 117-133. ⇒http://dept.sophia.ac.jp/human/journalism/Communications/CR-no35-che.pdf 2019年7月28日閲覧。.
^ 『植物図鑑』は約1300頁以上程の頁数で、巻頭に模式花図5頁・名称図解5頁、植物品目(2300種)1216頁、植物網目9頁、学名検索88頁、分科索引36頁、五十音検索36頁となっており、図鑑としてはかなりの分量であった。また、2300種に及ぶ植物については、絵図・和名・学名・生育地や特徴などが表記されていた。
^ 岡島吉昭「昭和53年 商事判例回顧
関連項目
日本出版配給
日本の出版社一覧
牧野富太郎
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